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2022年11月7日(月)


野麦峠は以前一度来たことがある。しかし、車で峠まで来て、旧道をMTBで下っただけだ。

ちゃんと峠越えをするのは、今回が初めてだ。

通行止めも解除されて、どんな峠越えになるのか楽しみで仕方がない。


宿の廊下は「あゝ野麦峠 」の映画一色だ。

大竹しのぶ、地井武男、原田美枝子のワンシーンがパネルになって飾ってある。

残念ながら映画を見たことがない。帰ったら絶対に観ようと心に決めた。


いよいよ秋の紅葉ツーリングも最終日。自分はもう4日目で、かなり体も疲れ切っている。

こんなハードなツーリングも久しぶりだ。


朝食を食べているときに、お願いしておいた昼の弁当について聞いてみたら・・・どうやら伝わっていない・・・

今日は何も調達できるところがないので、急遽今からご飯を炊いて作ってくれるということに。

確認しておいてよかった。出発直前だったら大変なことになっていた。


出来上がったお弁当は、しっかりした容器に入った豪華弁当!

このままじゃフロントバッグに入らない。

そこで、ハサミでチョキチョキ半分に切って”デモンタ弁当”の登場だ。


宿の主人にお願いして写真を撮ってもらう。

ここの宿と、野麦峠の館、お助け小屋は同じところが経営している。

残念ながら、野麦峠の館は閉館、お助け小屋は現在休業中だ。


さて、今日も相変わらずのいい天気だ。疲れた体に鞭打って宿を後にする。

今日のコースは、距離57km、峠3つ、獲得標高1242mという、なかなかのハードコース。


ここまで5名で走ってきたが、残念ながらここで京都メンバーとお別れだ。

やはりここから高山へ出たほうが、帰りが圧倒的に便利だ。


お別れに、使い道のない岐阜県のクーポン券を全員分渡す。高山の駅でお土産でも買ってくださいね〜

ということで、最終日は4名で野麦峠を目指すことになった。


寺坂峠への裏道を宿の人に聞いてみたら、その道は通行不能と言われた。

そして驚くことに、またまた5万図にはないトンネルが出来ていると教えてくれて、もう浦島太郎状態!


下の地図は実際の走行データだ。ダム沿いに行くしかないと考えていたが、なんとトンネルが出来ていた。

「高根トンネル」という、まだ新しいトンネルだ。(2017/4/27開通)

おいおい、いったい地図は何を見ればいいんでしょうね、まったく。


今日もまた”トンネルマジック”に助けられて、一気にワープだ。

このトンネル、2km近くあるトンネルだが、路面もいいし照明もしっかりしているので走りやすい。

こうも毎日トンネルに助けられると、いいんだか、悪いんだか、よくわからなくなってくる。


トンネルのおかげで今日もまた時間短縮になった。よしよし、これでずいぶんと余裕が出来たぞ。

トンネルを抜けて、高嶺大橋からいよいよ野麦峠への道が始まる。

「野麦峠 鰤(ぶり)と糸引き女工が通った歴史の道」と書かれた大きな案内が目立つ。


野麦峠まで19kmの表示。なかなかの距離だ。やはりそう簡単に越えられる峠ではない。

まずは最初の峠、寺坂峠が第一関門だ。


スタートしてまだ30分。体もようやく暖まってきた。

正面に乗鞍岳を拝みながら、静かな野麦街道を行く。


前半は緩やかだったが、後半はなかなか厳しい登りだ。

10:15  寺坂峠まで標高差295m、所用時間52分、1時間当たり340mで登ってきた。

この日も秘密兵器34Tのおかげで、意外と苦労せずに登ることができた。


寺坂峠は何もないただのピークだ。全員が揃って、一息ついたらすぐに下り始める。

まだまだここまでは今日のプロローグだ。


寺坂峠から一旦下って、いよいよ野麦峠への登りに入った。

これだけ長い登りの峠も久しぶりだ。


じっくり秋景色を楽しみながら、静かな峠路を登っていく。

眩しい日差しに、ススキもトップチューブもキラキラと輝いている。


適度な勾配の峠路を気持ちよく登って行くと、高根町野麦の集落にさしかかる。

集落の入口左手に、大きな学校のような建物が現れた。「野麦街道 野麦学舎」と表示されている。


野麦学舎

岐阜県飛騨高山の野麦峠まであと少しの所、標高1,324mに野麦学舎はあります。

1921年(大正10年)に「高根村立高根小学校野麦分校」として始まり、1953年に現存の校舎へと変わり数々の歴史を刻んできましたが、1981年(昭和56年)に廃校となりました。

それから40年、当時の原風景そのままに変わらず残ってきましたが、集落の方々の高齢化と人口減少により維持管理を続けるのが困難となり、2021年3月、市議会で野麦学舎を取り壊す決議がされようとしていました。

しかしながら、この木造建築とそこで育まれてきた温かみは改めて再建しようにもできない貴重な建物です。

「なんとか存続させる方法はないものか」と野麦学舎に様々な想いを持つ有志が集まり、市民団体「野麦学舎保存会」を発足したのが取り壊しが決議される3日前のこと。

「野麦学舎を再生活用させて欲しい」と嘆願書を発足と同時に高山市に提出したところ、その想いは実り、2022年6月に学舎は私たちに有償譲渡という形で維持管理を任されることとなりました。

https://readyfor.jp/projects/nomugi


何か映画のロケ地になりそうな、懐かしい、実に雰囲気のある建物だ。

ちょうど業者の方が作業中だった。この時は、上記の事情など知らなかったから、ただ写真を撮っただけだった。

もしもう一度訪れる事があったなら、ゆっくりと見学してみたいものだ。


徐々に野麦峠が近づいてくる。

標高は1300m。道路の傍らに「野麦街道」と刻まれた石碑が佇んでいる。


11:00 旧野麦街道の分岐が現れた。

自分は2000年8月に来た時に、野麦峠に車を置いて、旧道をここへ降り、峠まで登り返した。

当時はMTBで山道下りを楽しむことばかりに集中していたので、周囲の景色の記憶があまりない。


しかし、ここから峠まで太いタイヤで頑張って登り返した記憶はしっかり覚えている。

やはり、車を使って美味しい所だけを味わおうとしてもダメですね。峠はちゃんと越えないと。


つい数日前まで通行止めだった野麦街道。いったいどこが崩れたのだろうと思っていたら・・・

突然修復された真新しい舗装とガードレールが現れた。あぁ、この辺りがごっそりやられたのか。

結構大きな崩落だったのだろう、かなり大規模な修復がされた跡だった。


標高1600m付近 日陰の落葉には霜が降りている。茶色い葉が真っ白だ。

もうこの辺りは、晩秋から初冬へ入ろうとしている。


野麦峠まであと50m。いいペースで登ってきた。

ほとんど誰にも会わない、貸し切りに近い峠路だった。


長い長い峠へのアプローチ。寂れた集落を抜け、沢を渡り、谷を巻いて登りつめる。

この長さと、なかなか開けぬ展望がより一層峠への気持ちを高める。

峠越えって、こういうものだった・・・と、何か昔の峠越を思い出すような感じだ。


GPSの画面に励まされながら、一つ一つカーブをクリアしていく。

最後にこんな崩落個所も残っていたが、ここは車でも問題なく通過できる。


いよいよ勾配がフラットになり、かすかに記憶が残っている光景が視界に入ってきた。

すると前方に人影が・・・あれ?、ほとんど誰にも出会わないのに、珍しいな。

近づいてみると、なんと半袖姿にリュックを背負ったサイクリストだった。


野麦峠で出会った、あるサイクリストのお話
(ご本人の了解を得て、写真を使わせていただきます。)

ツーリングから帰った翌日、この方から私にメールが届いた。

それだけでも驚きなのに、なんと私のホームページの大ファンだということであった。


また、我々の仲間と同じサイクリングクラブに所属していたなど、驚くことばかりであった。

せっかくの機会ですので、大きな写真で掲載させていただきます。詳細は後半最後に記載します。



さっそく会話してみると、どうやら野麦峠旧道を登ってきたらしい。

乗っている自転車、足元の靴がしっかりしているので、結構ベテランだな、と直感した。

とてもにこやかな笑顔で応対してくれて、やはり同じ趣味の人間は素晴らしいな、と思った。


次々とメンバーが峠に到着する姿をビデオで撮影する。

このサイクリストも、なんだかそわそわしながら我々の姿を見つめている。


最後のメンバーが、こちらも撮影しながら峠にやって来た。

知らないサイクリストに出迎えられて、なんだか嬉し恥ずかし・・・

でも、そんなことより無事に登りきれたことの喜びの方が大きかった。


時刻はちょうど12時。なかなかいいペースの走りだった。

昔と変わらぬ野麦峠の標と石碑の後に、雄大な乗鞍岳が青空に映える。


さっそくランチタイムだ。大きな東屋があるが、テーブルもなく日陰なのでパス。

旧道入口の所に、最高の”食卓”があったので、ここに4人で輪を作る。


今朝宿で作ってもらった弁当だけでかなりのボリュームだ。

私のアルプスフロントバッグには、そのままぴったり収まっていたが、入らない人は「デモンタ弁当」だ。


棒ラーメンも残っているので、ついでに片付けることに。

時間もあるし、天気は最高だし、この眺め、この雰囲気・・・とにかく素晴らしいですね。


楽しく食事をしていると、お助け小屋辺りを先ほどのサイクリストが「半袖」で走り回っている。

元気な人だなぁ・・・と皆で感心。

いつものように、最後はコーヒーをいただいて、フルコースのランチも終了。


お決まりの場所で、お決まりの写真を撮る。

雲一つない青空と、雪化粧した乗鞍岳が実に美しい。


最後に皆で記念撮影をして峠を後にする。

観光客の車が2、3台と、サイクリスト1名だけのとても静かな野麦峠であった。



2000年8月に訪れた時の野麦峠

現在、野麦峠の館も閉館し(2022/3/31)、お助け小屋も営業していない。

さらに、野麦峠旧道も飛騨側は橋が壊れていて通行できないらしい。


そこで、ちょっと懐かしく22年前の野麦峠の様子を紹介しておこう。

峠への招待でもレポートしているが、当時はホームページを作り始めたばかりで、内容も貧弱だ。

そこで、掲載できなかった写真で昔の様子を伝えてみたい。


「野麦峠の館」は素晴らしい資料館だ。

野麦峠に関することはもちろん、全国の峠に関しての解説が充実している。


多くの峠のスライドが展示されている。行ったことのある峠も数多い。

一枚一枚を見ているだけで、自分のツーリングの思い出が蘇ってくる。

館内の端末では、峠に関する勉強もできるようになっている。峠ファンとしては面白くてたまらない。


峠の展望台には大きな観音像が建っている。そして「あゝ野麦峠」の政井みね碑も置かれている。


野麦峠の館の駐車場で、満天の星空を眺めて車中泊。翌日は野麦峠旧道を飛騨側へ下る。


ハイキングコースだが、MTBなら結構楽しめる。

無理をしなければ乗車率も高いが、あまり無理するとさすがに危険だ。


ぱっと開けた所に地蔵尊が置かれている。そしてここから飛騨方面の展望が大きく開ける。


快適な山道下りを終えると車道に合流する。あとは頑張って野麦峠まで登り返す。


お助け小屋で、野麦定食をいただく。夏休みで観光客も多く、お助け小屋も大賑わいだ。

野麦峠を起点とした旧道周回のコースは、なかなか面白い。



さてさて、話を元に戻して野麦峠の下りに入る。

この先は、550m下って境峠まで350m登り返す。このペースならほぼ予定通りだ。

しっかりと厚着して下り始めると、すぐにカラマツの美しさに思わず立ち止まる。


両脇をカラマツの紅葉に覆いつくされた、極上のダウンヒルだ。

道端に積もった細かなカラマツの葉と、舗装路がまるで絨毯のように続いている。

敷かれた絨毯の上を気持ちよく下っていく。


峠から250mほど下ると、旧野麦街道の分岐が現れる。大きな解説板と道標が建っている。

峠で出会ったサイクリストは、ここから峠まで登ってきたのだろう。


旧道の入口は、このまま足を踏み入れたくなる雰囲気で満ちている。

この道を歩きながら、「あゝ野麦峠 」の世界に浸りたくなる。


大きな石碑には「あゝ野麦峠 」の一文が埋め込まれている。


帰宅後購入した本を読むと、確かにこの一文が書かれていた。


その先に、本にも記載のある「石室」があった。

長期にわたる豪雨水災によって崩壊してしまったが、復元したと書かれている。


中を覗いてみると、小さなスペースが広がっているが、ほんの数名しか入れない。

本当にこういう事実があったのだという事を知ると、当時とのあまりの違いに驚愕する。


標高が下がるごとに、体感温度が上がっていく。峠に比べてかなり気温も高くなってきた。

気持ちよく峠からのダウンヒルを楽しみ、約50分で下りきった。


時刻は14:05。残りの距離、標高差から、帰りの列車の予定を確認する。

この旅最後の峠、境峠を順調に越えられれば、いい時間に藪原駅に着くことができそうだ。

標高差350m、順調に行けば約1時間で峠に着けるだろう。


ダウンヒル後の登り返しは辛い。冷えた脚に力が入らない。

しかし道幅も広く、交通量も少ないのが唯一の救いだ。


最後の登りとなれば、自然と力が湧いてくる。じりじりと登りつめ、峠まであとわずかとなった。

ガーミンに峠の表示が現れてくると、不思議と頑張れる。やはり目標が見えると不思議な力が湧いてくる。


広い車道のため、はっきり言って、峠越えとしてはあまり雰囲気のある峠ではない。

綺麗な舗装が続くので、走りやすく登りやすい峠であるが、峠直前はかなりきつい勾配だ。


これで最後、あとは下ってゴールとなれば、苦しくても頑張れる。

ピークが見えてきた。あそこまで登ればもう登らなくて済む。


15:07 境峠に到着。ほぼ予定通りだ。結構老体に鞭打って頑張った。

峠のピーク感はよく出ているが、峠の標識も味気なく、また展望もまったくないのが残念だ。


しかし3日間の最後ということで、心は十分満たされていた。

達成感と充実感、そして苦しかった登りの疲れが入り混じった境峠だった。


境峠からのダウンヒルは豪快だ。

これだけ道幅が広く、見通しのいい下りとなればかなりのハイスピードダウンヒルが楽しめる。

一気に下ってしまってはもったいない。カメラを構え、ビデオを構えながら順番に下っていく。


人家が見えてくると、久しぶりに見る木曾の風景が広がってきた。

2泊3日でぐるっと周回してきた感じだ。藪原駅へ向かってこの旅の余韻を楽しみながら下っていく。


再び素晴らしい秋景色が広がってきた。旅のゴールを祝福してくれているような美しさだ。

藪原駅に無事に到着。小さな、静かな駅前だ。バス待ちの乗客が2名いるだけだ。

ゴールの祝杯をあげたかったが、駅前には何もない。買いに行こうとしたが、時間もなく諦めた。


ツーリングはこれで終わりではない。ここからいかに楽しく、美味しく輪行を楽しむかが重要だ。

帰りのルートを検討する。色々な方法が検討されたが、結局長野から新幹線に乗ることに決定。


16:50 藪原駅から塩尻駅まで乗車。塩尻のみどりの窓口で、あれこれ指定しながら指定席を獲得。

17:55 塩尻駅から長野駅まで特急しなので移動。まあ、4人いると帰りの切符の手配だけでも大変だ。


長野駅では、すぐに改札を一旦出てお買い物だ。

長野ではこれを買わなきゃダメ、と教えてもらって、二葉堂の「りんご小径」を購入。


19:39 長野発はくたか574号に乗車。これでやっと落ち着いて飲める。

新幹線も結構混んでいる。昔のように賑やかに会話することもできず、おとなしく静かにビールで乾杯だ。


長い長いツーリングだった。自分は3泊4日という久しぶりの長旅だった。

4日間、快晴続きというかつてないほど天気に恵まれたツーリングだった。


さて、ここからは野麦峠で出会ったサイクリストのお話です。

帰宅後いただいたメールがあまりに嬉しく、感動し涙するほどでしたので一部をご紹介させてもらいます。

野麦峠で出会った、あるサイクリストのお話(続き)

「峠への招待」はかれこれ10年くらい拝見しており、私の自転車人生の指南書のような存在となっています。

焦りや疲れ、アクシデント、雨への恨み、そして景色を独占できる優越感など真のサイクリストでなければ書けない人間味あふれる素晴らしい文章にひきこまれ、自分も走りたいと思いは募るばかりでした。

釣瓶落、栗原川林道、水平歩道、小熊黒沢林道、真弓峠など、知ることも行くこともなかった峠も多く、本当に感謝しております。



そこで出会ったのが乗鞍をバックに疲れも見せずさっそうと走る姿、自転車のオーラも含めすべてが輝いていました。

リアル「峠への招待」メンバーの登場に、まさに映画スターを生で見るような感覚とともに、「ああ、ついに私も峠に招待されたんだなあ」という思いに感動してしまいました。



「お、フロントバッグつけてる自転車だめずらしいな」と思った直後衝撃が走りました。あの、「峠への招待」のメンバーが画面そのままに動いている!と。

何百回と読ませていただいたレポートの方々です。瞬間的にわかりました。

思考が凍り付き、目の前のことが信じられませんでした




長いことホームページを作ってきたが、こんなお褒めをいただいたメールは初めてだ。

先日もフリーマーケットで、同じようなファンの方にお会いし、ちゃんと読者がいることがよくわかった。

多くのサイクリストの道案内にでもなれば、そして自分のツーリング記録として始めたホームページ作り。


実際に走った者でしかわからない感動、辛さ、喜び。

自転車の素晴らしさ、ツーリングの楽しさ
、峠越えの魅力を伝えたいという気持ちで作ってきた。

たぶん多くの人には、こうした気持ちはなかなか伝わらないだろうと思っていたが、そうではなかった。


やはりちゃんと読んでいる方がいる、ちゃんとツーリングを理解している人がいるということに驚いた。

まるで映画スターの登場とばかりの賞賛だが、こうしたスタイルのサイクリストが少なくなったのも確かだ。


古きランドナーを愛し、林道・峠越えを愛し、そして温泉とお酒を楽しむ。

我々のメンバーは、自然とこんなメンバーの集まりになった。


野麦峠でたった数分会話しただけなのに、これほど心が通じ合えるなんて、やはり自転車の世界は素晴らしい。

心のこもったメールをいただき、本当にありがとうござました。

あらためて、お礼申し上げます。
 


「あゝ野麦峠 」を観る、読む

ツーリングから帰ってすぐに、「あゝ野麦峠 」の映画を観た。衝撃だった・・・そして涙が止まらなかった。

映画の冒頭から、信じられない光景が画面に映し出された。初めて見る映画なので、本当に衝撃だった。

これは本当にあったことなのか? 


映画を全て見終わると、あまりの驚きと衝撃でしばらくは思考停止状態だ。

やはり原作を読まなければと、この2冊を手に入れる。

物凄い本だ。読むだけでも大変だが、ここまで調べ上げた取材力に驚嘆する。


読めば読むほど、映画のシーンが本当であったことがよくわかる。とにかく感動した。驚いた。それしかない。

今回走ったコースが、女工の辿った道にほぼ近い。本に出てくる地名を我々も通り抜けてきた。

あの道を、あの峠を女工たちは雪の中を歩いてきたのか・・・想像を絶する光景だ。


映画を見て本を読み終えると、やはりもう一度野麦峠へ行きたくなる。

できれば女工たちが辿った道を、出来る限り辿ってみたくなる。


以前野麦峠旧道を下った時は、ほんのわずかの道筋だった。

出来れば、飛騨と岡谷を結んだ、彼女らの歩いた道をあらためて走ってみたくなる。


調べると色々な情報を入手することができる。

知れば知るほど「あゝ野麦峠 」の世界にはまっていく。


Youtubeには多くの調査取材の動画か公開されている。どれもこれも、皆素晴らしい内容だ。

これを参考に、またツーリングのプランを考えてみたくなった。

https://www.youtube.com/watch?v=LeWv4YBAZ2E&t=0s

https://www.youtube.com/watch?v=9hibWmwO9oQ

https://www.youtube.com/watch?v=QiA9eL2-wGs



 
距離: 54.6 km
所要時間: 6 時間 54分 48 秒
平均速度: 毎時 7.9 km
最小標高:  946m
最大標高:  1696m
累積標高(登り):  1262m
累積標高(下り):  1303m

(2022/11/7 走行)


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