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豊後高田 〜 磨崖仏巡り 〜 国見


2022年10月19日(水) 2日目


昨夜の二次会での議題は、翌日のルートに関してであった。

この旅のメインである2日目をどう走ろうか、何時に出発するかが重要な議題であった。



予定されているコースは、走りきるだけでほぼ一日目いっぱいのコース。

これに磨崖仏見学が含まれると、ほぼ間違いなくナイトランになってしまう。

いつもなら9時出発となるところだが、8時出発、いや8時半だと意見が出て、結局8時半出発となった。


ビジネスホテルの朝は早い。仕事へ向かう人たちはすでに早朝から動き始めている。

我々も朝食を食べにレストランへ行けば、すでに朝のピークを過ぎている感じだ。

朝食を終えると、何もすることがない。朝風呂に行けるわけでもなく、寛げるロビーがあるわけでもない。


7時半にはすっかり身支度が出来てしまって、皆さんに確認したら8時には出発できるとのこと。

それじゃ、ということで急遽時間を早めて8時出発ということになった。

この30分が、結果的に大きなアドバンテージとなって大正解だった。


今日も簡単な「朝礼」を行い、全体の行程を確認して走り出す。

もちろん今日も雲一つない快晴。朝8時から気分は最高潮だ。

早朝の豊後高田、朝日を浴びた昭和の町を走り抜ける。気が付けば、こんな懐かしい看板も。


8時から走り出すというのは、我々には滅多にない。

おかげで気分も違うし、緊張感も違う。今日は厳しい行程になると全員が感じる。


峠や林道を走るのと違って、自転車で磨崖仏を巡るというのがどれだけ時間を要するのかわからない。

今日の行程は、まるでサイクルオリエンテーリングをするかのような「宝物」探しに近い。


地図上にしっかりと目標物を定め、そこへ行って確実に鑑賞してくる。

来た道を戻ったり、近道を抜けたりしながら次の目標物へ向かう。そんな感じの一日になる。


熊野磨崖仏を目指し気持ちよく走っていると、目の前に広大な田園風景が広がってきた。

この辺りが「世界農業遺産」の田染荘(たしぶのしょう)地域だ。


田染荘

千数百年の昔、国東半島が六つの郷にわかれていた頃、この地域は一面うっそうとした原野でした。

743年の墾田永年私財法の成立によって、この地を豊かな水田地帯にしようと、幾多の農民や宇佐神宮が尽力。

それにより、この土地の地形を利用して様々な曲線を描いた、独自の水田が生まれました。

やがて、墾田された水田は荘園となり、ここに田染荘が誕生、宇佐八幡宮の「本御荘十八箇所」とよばれる根本荘園のひとつで最も重用視された荘園として栄えました。

https://showanomachi.com/special/tashibu.html


コピーしてきた資料と見比べると、ちょうどこの辺りからの写真だ。


立派な記念碑と解説が設置されていて、ちょうどいい休憩スポットになっている。

「千年の時を刻む荘園遺跡」である田染荘は、素晴らしい景観を誇り、雄大な歴史と文化に触れ合える。


車も少なく爽やかな気候の中、田染地域の風景は言葉にならない美しさがある。


「荘園の里 サイクリングコース 〜中世の風を感じて〜 E大門坊磨崖仏」と書かれた案内が現れた。

いよいよ本日の磨崖仏巡りの始まりだ。まず最初は手頃なこの磨崖仏から見学する。


車道からすぐの所に磨崖仏があるのだが、初めて見るだけに何が何だかよくわからない。

目を凝らしてじっと見つめ、これが顔?と写真を撮ったら全然関係ない物だった。

「こっちですよ」と教えられてよく見ると、確かに磨崖仏の姿が確認できた。なーるほど、こういうものなのか。


磨崖仏巡りも適度な休憩タイムになってちょうどいい。

サイクリングコースとなっているということは、ここをレンタサイクルで巡る人もいるということだろう。


最初の磨崖仏を過ぎると、道端に派手な案山子が目立つようになってきた。

案山子と言っても見慣れた案山子と違って、まるで仮装行列のようだ。


珍しくて写真を撮っておいたのだが、後から調べたらこんなイベントを開催していたんですね。

例年行われている催し物のようで、ちょうどタイミングよく我々が通りかかったということだ。

どの案山子も表情が豊かで、見ているだけで心温まる光景だ。


いよいよ本日最大の楽しみ、「熊野磨崖仏」の入口に差し掛かった。

ここまでのんびりとポタリングの雰囲気だったが、車道から分岐し細い山道へ入っていく。

ここから一気に厳しい急登が始まる。


大きな鳥居をくぐると、天に向かって登っていくような山道に、すでに押し歩きの状態だ。

逆光の光が眩しい中、息を弾ませながら一歩一歩押していく。


車道の分岐地点から約70m登ると、ようやく案内所に到着する。

時刻はまだ10時前だ。さすがにこの時間だと観光客もほとんどいない。


休憩所もこれからシャッターを開けるところだった。

案内所で拝観料を払い、全員杖を借りて磨崖仏へ向かう。


いきなり軽い登山感覚だ。まあ我々は登り慣れているので、こんな坂、なんてことないのだが・・・

最初は登りやすい階段に始まるが、次第に様相が一変してきて、最後はこんな石段が現れた。


まるで絶壁に岩が張り付いているような眺めで、ホントに登れんの? と疑問に思うほどだ。

雨や雪の日には、ツルツル滑って危険極まりない。こんな激坂、年配者は絶対無理でしょう。


常識破りの石段を一歩一歩登り詰めた先に、ついに待望の熊野磨崖仏が視界に飛び込んできた。

「すっ、すっごい!」「何だこのデカさは!」あまりの迫力に押しつぶされそうな感じだ。

思わず立ち止まり、呆然と正面の磨崖仏と対峙する。何も言葉が出ないほどの衝撃だ。


熊野磨崖仏

11世紀頃(平安時代後期)の作と言われている「大日如来(約7m)」と12世紀頃(鎌倉時代前期)の作と言われる「不動明王(約8m)」の磨崖仏があり、国の重要文化財に指定されている国内最大級の磨崖仏です。

また、鳥居から熊野磨崖仏まで続く石段は、昔、鬼が一夜にして99段築いたと伝えられています。

https://showanomachi.com/spots/detail/136


いったい、誰が、どうやって、何のためにこんな巨大な磨崖仏を作りあげたのか?

こんな険しい山の中に、どれだけの時間と労力がかかったのだろうか?

何かを語りかけているような、いや、どこか遠くを見つめているような、そんな表情が印象的だ。


熊野磨崖仏の詳しい解説

https://www.city.bungotakada.oita.jp/files/Pamphlet_1587429329_file.pdf


たっぷり時間をかけて熊野磨崖仏を見学し、“金色のお寺”と呼ばれる胎蔵寺経由で下山する。

帰りに、お土産屋で直筆の御朱印をいただく。


本日前半戦のハイライトを無事に巡り、次へ向かう。

やはり見学には結構時間がかかっている。30分早く出発して正解だった。

来た道を戻り、田染真木地区から農道へ入っていく。


次の目的地は、「城山薬師堂四面石仏」。ガイドがいなければまったく見つけられない小さな目標だ。

自転車を置いて山の中へ入っていく。またしても軽ハイキング並みの山道だ。

自転車の靴でも問題ないが、ぬかるみがあったり、岩場だったりしたら相当厄介だ。


まさかこんなとこに誰もいないだろうと思ったら、途中で役所の人に出会った。

我々の姿に驚いていたが、こうしてちゃんと管理しているということだろう。

この石仏も実にユニークだ。しっかりこうして維持保存されていることに驚くばかりだ。


結構ハードだ。走って、山道を登って下って・・・自転車だけではない疲労感が積み重なっていく。

それでもこんな一日が楽しくて仕方がない。次々変化するコースと目標。こんな宝探しみたいな走りは初めてだ。


すっかりコースリーダーにお任せっぱなし。残りのメンバーは、おとなしくじっと後を付いていくだけ。

ほとんど地図も見ないし、どこをどう走っているのかわからなくなってきた。


次に訪れたのは、「鍋山磨崖仏」。ここもなかなか手強い登りだ。

さすがに”磨崖仏慣れ”してくると、おおよそどんな具合かわかってくる。そんな簡単に到達できない・・・と。


車道から急な階段を登り、えっちらおっちら山道を掻き分けていくと目標物に到達できる。

発見できた時の喜びは格別だ。磨崖仏巡りは、これが魅力なのかも?


龕(がん)の中に彫られた磨崖仏が元宮磨崖仏。

元宮磨崖仏は車道脇に位置しているので、登らずに済む”優秀”な磨崖仏だ。


ここまでで5つの磨崖仏を見てきたが、それぞれ特徴があり実に奥が深い。

もうここまででかなりお腹一杯なのだが、まだまだ後半戦が待っている。


午後の部のメインは「富貴寺」だ。まずは腹ごしらえ、ということで富貴寺の前の食事処に入る。

すでにここのお店も事前に調査、連絡済みなので、安心して食事をとることができた。

だんご汁、こんにゃく刺身、煮物等地元の旬の食材で仕上げた田舎定食をいただく。

 


富貴寺

富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。

中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。

本尊の阿弥陀如来像は970丈にも及ぶ一本の榧の巨木から六郷満山寺院を開基したとされる仁聞菩薩の手によって造られた、と伝えられています。

大堂内には極楽浄土の世界を描いた壁画が施されており、風化が激しいが、極彩色で描かれていたという調査結果から県立歴史博物館に忠実に再現されています。

他にも大堂の周囲には僧侶が修行のときに使用したとされる、梵字が刻みつけられた仁聞石や鎌倉時代の笠塔婆、室町時代の国東塔等があり、かつての富貴寺の繁栄ぶりを偲ぶことができます。

https://showanomachi.com/spots/detail/139


立派な山門をくぐり、拝観料を払って富貴寺の中へ。

磨崖仏見学とは違う、シーンとした張り詰めた空気が流れる。


目の前に現れたのが、国宝に指定されている富貴寺大堂。

宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつであり、現存する九州最古の木造建築物だ。


他の観光客と一緒に歩いている所に、どこからともなく住職の姿が現れた。

今日は大堂の中も見学することができ、幸運にも住職の話を聞くことができた。

「富貴寺」住職、河野英信(こうの えいしん)
https://dialoguetemple.com/eishin-kono/


中の撮影が出来ないので写真はないが、ここで大変貴重な話を聞くことができた。

そして、ここで聞いた話が今夜の二次会で大盛り上がりとなることとなった。(詳細は後ほど)


富貴寺の歴史や現状、そして自分の生涯・・・これほど丁寧に説明してくれるのか、というぐらいの温かいお話だ。

堂内の壁をライトで照らすと、暗闇の中に薄っすらと壁画が浮かんできた。

その素晴らしさに、思わず周りから「おぉ〜」と歓声があがる。


我々メンバーの中には、建築、木材の専門家がいるので、堂内の柱の素材について住職に質問している。

住職も、ただ者ではない質問に真剣に答えてくれていた。

とにもかくにも、大変貴重な時間だった。


まるでタイムスリップしたかのような、歴史物語をこの目で見た感じだった。

帰りの山門脇の階段には、こんな呑気な猫がひなたぼっこしていた。

近づいても目を開けることなく爆睡している。もちろん触っても大丈夫。こんな静かな時が流れる富貴寺だ。


富貴寺でいただいた、「江戸時代より富貴寺に残る版木を用いて作った御影(みえい)」とパンフレット。


富貴寺でかなりの時間を過ごしてしまい、さすがに後半の予定がきつくなってきた。

30分のアドバンテージはとっくに無くなり、後は日没までに宿に着けるかどうかが心配になってきた。


当初考えていた金ケ峠越えはすでに諦め、天念寺を経由して最短コースで宿へ向かうことになった。

天念寺も見どころが色々あって、リーダーの詳しい解説に一同うなずくばかり。


朝から磨崖仏巡りの一日。次から次と名所・史跡の連続で記憶もごちゃごちゃになってくる。

時刻も15時に近くなり、残りの距離を考えながら最後の目的地、千燈石仏へ向かう。


ここから地蔵トンネルまでの登りは、今日一番きつかった。

磨崖仏巡りで結構体力を消耗していて、200mの登りがやたら体が重い。


交通量の少ない広い車道のおかげで、大きく蛇行しながら登っていくことができる。

それでも天念寺から30分で200m登ったので、我々としてはなかなかいいペースであった。


さあ、本日の登りはこれでおしまいだ。あとは宿まで海を目指して下るのみ。


疲れた体も一気に元気を取り戻す。豪快に下る面々の姿をご覧あれ。

豪快な


ここまでくれば宿到着の時間がよめる。あとは途中で二次会用の酒でも仕込むとしよう。


快適なダウンヒルだ。路面も良く、道幅も十分広い。

ほとんど車が通らず、好きなようにダウンヒルの様子を撮影することができる。


ダウンヒルの途中で、本日最後の「千燈石仏」の案内が現れた。

しかし入口がわからない・・・あちこち探してみるが、どうやらゲート封鎖されている先が千燈石仏らしい。

自転車を置いて、全員でまたまた”軽ハイキング”だ。そして探し当てたのがこの石仏だ。


大きな岩に、小さなレリーフ模様のように石仏が彫られている。こんな石仏を見るのも初めてだ。

御堂の裏手には大きな二体の石仏が並んでいて、なかなかの雰囲気を醸し出している。

皆でワイワイ言いながら見学していれば楽しいが、周囲の様子から一人だと結構怖さを感じるかもしれない。


最後は海へ向かっての快適なラストランだ。

自分の影が長くなるのを見ながら、なんとか無事に走り終えたことの安堵感に浸る。

不安だった2日目も、十分満足できる内容の一日となった。皆の後姿を見ていると、そんな雰囲気が感じられる。


ついに海へ出た。磨崖仏の世界から大きな青い海へ・・・その大きな変化に思わず ”おぉ!”と歓声が上がる。

国東半島が海に面していた、なんてことをすっかり忘れてしまうほどの磨崖仏巡りの一日だった。


なんだろう、この充実感は。いつもの温泉・峠越えとは全く違う満足感だ。

やはり企画力だ。心にしみるコース作り、歴史の重み、そしてダイナミックな景観の変化だろう。


出来すぎの一日だった。余裕の時間に宿に着き、ひと風呂浴びてさっそく祝杯をあげる。

夕食は楽しく賑やかに今日一日を振り返る。

肉体的な疲労と、多くを学び見てきた思考の疲れが何とも心地いい。


そして驚くはこのキャンペーンだ。政府の”どんちゃんばらまき政策”で、なんと農産物までいただけるらしい。

宿泊費割引、クーポン、そしてお土産付きとは恐れ入った。


カタログから選べば、自宅に送ってくれるという。なんじゃそれ? 誰の金でしょうねいったい?

ということで、私は「つや姫 新米5kg」にしました。有難いけど、信じられない〜


さてさて本日最後の話題は、二次会でのK氏の朗読であった。

綿貫氏の大ファンであるK氏は、NC173号「国東」の紀行文をコピーして持ってきていた。

宴もたけなわになり、またまた綿貫氏の話題になったころ、K氏の朗読が始まった。


”物覚えが悪くなってきた。知っているはずのものを思い出すのに手間がかかる・・・”



「こんな書き出しできる? ありえないでしょ、凄いよ!」なんて冒頭から興奮気味。

この紀行文には、綿貫氏が今日訪れた富貴寺で、先代の住職から聞いた話が詳細に書かれている。

綿貫氏は、例の「録音機」で話を全て記録していたのだろう、その内容をこと細かく文章にしている。



K氏の朗読は続く。


”昭和二十年の四月に、このあたりに爆弾が落ちましてな・・・”
と聞いたときに衝撃で鳥肌が立った・・・


「おいおい! 全く同じだよ、今日聞いた話と!」と絶叫!

それは、今日二代目住職から聞いた内容と一字一句全く同じであったのだ。


綿貫氏の文章の正確さもさることながら、二代目住職も先代と全く同じ話を伝承している・・・ということの驚き。

綿貫氏のこの紀行文は、実際に走ったのが1975年3月となっている。なんと47年前の事だ。


先代の住職の話を聞いた綿貫氏、そして二代目住職の話を聞いた我々。

47年後、同じようなサイクリストが、まったく同じ内容を聞いたということだ。

なんという偶然、なんという巡り合わせ。


時が一気に戻り、そこに先代の住職と綿貫氏の姿が見えるかのようであった。

綿貫ワールドを崇拝する我々の強い思いが、こうして引き合わせてくれたのかもしれない。

あまりの驚きと感動に、今夜はこの話で延々と語り続ける面々であった。

距離: 58.5 km
所要時間: 9 時間 0分 31 秒
平均速度: 毎時 6.5 km
最小標高:  4m
最大標高:  326m
累積標高(登り):  791m
累積標高(下り):  788m

(2022/10/19 走行)


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