峠への招待 > ツーリングフォトガイド >  ’2011 >  大平街道・飯田峠・大平峠




今日のコースは、ニューサイNo.231の「旧道を探る」を参考にさせてもらった。

紹介されたコースとは逆コースになるが、ほぼ道筋は同じだ。


2011年10月16日(日)


眩しいぐらいの朝日が注ぎ込む。

暗く寒かった昨日に比べ、あまりの明るさに目がおかしくなりそうだ。


爽やかな、気持ちのいい旅立ちになった。天気さえ良ければもう何でもいい、といった気分だ。

早く走りたくて、いつもより早めに準備を整えた。さあ、今日は素敵な峠越えになりそうだ。


昨日の単調な天竜川下りから一変、今日は本格的な峠越えのコースだ。

走り始めるとすぐに、こんな立派な「大平街道」の標識が現れた。


味気ない道路標識ではなく、手書きの字体が気に入った。

わざわざ大きな木材を用意し、達筆のどなたかが一生懸命書いたのだろう。

古いものを大事に残しておこう、という気持ちが伝わってくるような標識だ。


大平街道

江戸時代中期(宝暦4年)、伊那谷と中山道の妻籠宿を結ぶため、飯田藩によって建設された街道である。
それまで木曽谷へ行くには、伊那市の権兵衛街道を経て奈良井宿へ行くルートしかなく、木曽山脈を南へ大きく迂回しなければ妻籠宿へ行くことができなかった。この街道の開通により、最短距離で妻籠宿へ行くことが可能となった。



こんな立派な案内図も設置されている。

実に見やすく、心のこもった案内図が描かれている。


街道は次第に山深くなっていく。

標高をじりじりと上げていくが、静かで実に気持ちのいい登りだ。


適度な勾配の中、高度を上げていくと徐々に秋景色が深まっていく。

標高800m付近、沢が豊富で水場が至る所にある。


花火の製造工場だろうか、打ち上げ花火用の真っ赤な筒が置かれている。

通産大臣賞受賞の看板が掲げてあることから、かなり有名な花火工場なのだろう。


その先、道の左側に
地元の方が整備、復元した「下番 千手観音 」と書かれた像が建っていた。

旅人の安全を静かに見守ってくれているという。


橋の上から下を覗き込むと、沢までかなりの高さがある。周囲は激しく流れる水音が響き渡る。

すっかり気温もあがって暑くなってきた。

そんな時、このモンベルのニッカは便利だ。通気ができる構造になっているので非常に快適だ。


飯田峠まであと100m少々の登り。

風がちょっと吹いてくると、上空からたくさんの落葉が舞い降りて、道路一面を埋めつくす。

周囲はすっかりいい色になった。本当に素敵な峠道だ。


11:10 飯田峠に到着。峠の標識も味があり、実に雰囲気のいい登りだった。

カーブの先には「大平街道」の大きな石碑が建っている。


飯田峠から大平宿まで、落葉に埋もれた道を100m程下る。

対向車も全く来ない、静かで美しい下りを楽しむ。

 

大平宿

大平集落は、江戸期から明治〜大正〜昭和初期まで、伊那谷と木曽谷を結ぶ物流の拠点として発展し、宿場としての様相も呈し発展しました。しかし国鉄飯田線の開通や、国道・県道などの道路網も整備され、大平街道も寂れてゆきます。住民も次第に大平を離れ、過疎地化が急速に進みます。昭和45年になって、部落内で話し合いを重ね、住民の総意で集団移住を決定します。こうして250年続いた大平集落は打ち捨てられた廃村となります。 昭和45年といえば、高度経済成長期の絶頂期でした。

昭和48年に観光業者による観光開発が計画されると、かっての地域住民を中心に「大平の自然と文化を守る会」が結成され、保存活動が動き出します。それらの活動を経て現在は「NPO法人大平宿をのこす会」となって、様々な活動を続けてきましたが、2016年に解散し、今は南信州観光公社で管理を行っているようです。事前に申し込めば、家族旅行やクラブ合宿、キャンプなどで大平宿の民家を利用することができます。
https://ameblo.jp/houzan3/entry-12558489578.html


大平宿へ入っていくと、最初に視界に入ってきたのが、「三河屋」だ。

かなり古い建物で、今にも崩れ落ちそうな気配だが、しっかりと手入れがされている感じだ。

建物の説明板には次のように書かれていた。
屋号 三河屋
・建築様式 平入様式
・建築年代 明治

いきなりタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。 時代が一気に明治時代まで戻った感じだ。

それにしても、ここまで維持、保存されていることに驚きを隠せない。


大平宿の入口あたり、道路脇の草地に腰を降ろして昼食にする。

村の風景を眺めながら、人の様子を観察しながらのんびりとくつろぐ。


食事をしていると、村の方だろうか、目の前の林の中に脚立と伐採道具を持って入っていった。

こうして手入れを続けているからこそ、この大平宿が維持されているのだろう。

ゆっくりとランチタイムを過ごすことができた。本当にのんびり、落ち着くことができる所だった。


大平峠への登りに入る。道はかなり広くなり、心地よい勾配が続く。

どこを見渡しても美しい紅葉が広がる。路肩の落葉が峠へと続く。

「あぁ、なんて素晴らしい道なんだ」「なんでもっと早く来なかったんだろう」とひとり呟く。


13:45 大平峠に到着。とにかく素晴らしい道筋、素晴らしい峠へのアプローチだった。

峠には「大平峠」と「木曽峠」両方の峠名が標されている。

一つの峠に二つの峠名があるというのもなかなか珍しい。


標識の先を行くと、こんな迫力あるトンネルが視界に飛び込んできた。

あまりの衝撃に一瞬驚いてしまうほどの光景だ。何と言っていいのかよくわからないトンネルだ。


まるで大きな土管のような形で、トンネル上部には「峠曽木」と刻まれている。

かなり古そうな感じだが、ちゃんと補修されているので強度的には問題なさそうだ。


峠のトンネルを味わいながら抜けると、その先に小さな東屋があって休憩できるようになっている。

ランチタイムはここで過ごすのも最高だろう。うーん、なにもかも納得の峠路だ。

周辺の案内図も完備していて、徒歩で歩くのも楽しそうだ。


素晴らしかった峠路もこれで終わりだ。名残惜しいが下りに入る。

小さなカーブが連続し、見通しの悪いブラインドコーナーも多い。

自然とスピードは落ちるが、突然の対向車には十分注意が必要だ。


大平峠からは、たっぷりと900m程のダウンヒルを楽しむ事ができる。

下りきると妻籠宿の入口だ。


妻籠宿

妻籠宿から馬籠宿まで2里、宿の延長は2町30間。宿内は問屋2・本陣1・脇本陣1・旅籠31となっていました。
妻籠は文献によると中世から宿として利用され、木曽路から飯田へ抜ける追分になっていました。
さらに慶長6年(1601)、徳川幕府による中山道宿駅制定の折には妻籠宿として指定されました。


妻籠宿をのんびりと自転車を押しながら通り抜ける。

日曜日とあって観光客も結構目立つ。


さすがに大平宿と比べると、あまりに観光地化されていて賑やかすぎる。

道の両脇に落ち着いた風情の街並みが続く。ゆっくり眺めながら歩くだけでも楽しい所だ。


一泊二日の輪行旅もこれで終わりだ。

カーサイと輪行を組み合わせたこのプランは大成功だった。

南木曽駅で輪行する。これから岡谷駅まで戻って帰り支度だ。


カーサイだけでは旅情に欠ける。全部走ったのではエリアも限られる。

今回は、三日間を色々な形で楽しむことができて最高だった。


列車を乗り継いで、無事に岡谷駅に戻ってきた。何だか我が家に戻ってきたような懐かしさだ。

さあ、これからロングドライブだ。もう時間は気にせず、のんびり安全運転で帰ることにしましょう。

 


 

距離: 41.0 km
所要時間: 7 時間 5分 00 秒
平均速度: 毎時 5.7 km
最小標高:  554m
最大標高:  1348m
累積標高(登り):  907m
累積標高(下り):  854m

(2011/10/16 走行)


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