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2008年8月2日(土)


日本三大花火は「秋田・大曲」「茨城・土浦」「新潟・長岡」。どれも見たことがない。

都会の花火大会もいろいろと開催されているが、果たして三大花火大会とはいったいどんなものか・・・

そんな思いから、花火大会にあわせて夏のツーリングを計画してみた。


ちょうどこの頃、歌番組を賑わしていたのが、初の黒人演歌歌手のジェロさんだ。

大ヒット曲「海雪」(作詞:秋元 康 作曲:宇崎竜童)に出てくる”出雲崎”の地名が気になっていた。 

「〜あなたを追って出雲崎 悲しみの日本海〜」 どんな所なんでしょうね、出雲崎って。


というわけで今回は弥彦山・出雲崎周辺をカーサイ車中泊で巡り、長岡花火大会を見てこようというプランに決定。

スタートは早朝の「道の駅 国上」。


標高634mの弥彦山を正面に、軽量ロードで海岸線を北上する。

身の丈8m、越後七浦観音が出迎えてくれる。


海難救助、遭難者の冥福、家内安全、交通安全、商売繁盛、魚霊供養の祈願等、又水子供養の観音様として親しまれ、広く地域住民の信仰をあつめているそうだ。

海水浴場で泳ぐ姿の背後には、弥彦山スカイラインの通る山並みが見える。

本当は登る予定であったが、海抜0mからあそこまで行くにはさすがに辛い。

すぐに諦めて、海岸線をのんびり行くことにした。


「越後七浦シーサイドライン」という素敵な名前がついた道は、さすがに眺めがいい。

少々雲が多く、残念ながら大海原の眺めもすっきりしない。


視界がよければ遠く佐渡島も見えるはずだが、今日ははっきりしない。

それでも気分は爽快だ。交通量も少なく、どこまでも広い水平線を眺めながら快調に走る。


周回するために、海岸線を離れ山道を登りだす。軽量なので、登りもあっという間だ。

少々頑張ると、「五ケ峠登山口前」のバス停が現れた。ここまでバスがやってくるとは少々驚いた。


ファミリー向けの登山口のようで。駐車場には何台か車が止まっている。

細い山道を登った緩いカーブの辺りが五ケ峠となっている。展望は全くなく、周囲は深い森の中だ。


峠を下り農道を走っていると、「良寛行くさ来さの道」と書かれた碑に出会った。

出雲崎に生まれた良寛のゆかりの地として、こうして記念碑が建てられている。


米どころ新潟。たんぼの稲穂が次第に色づいてきた。

来月になれば稲刈りが始まることだろう。


「やひこ競輪場」がこんな所にある。せっかくなので入場してみた。

ちょうど第6レースの出走だったので見学させてもらう。

地方競輪は独特の雰囲気があって実に面白い。機会があればぜひ覗いてみて欲しい。


食料を手に入れて、近くの公園でようやく休憩。

ぐるっと周回してきて約35km程のショートコースだったが、初めての地でもあり、なかなか面白かった。

車に戻って出雲崎へ移動する。


高台の空き地に陣取り、簡易キャンプ&車中泊の準備だ。

音楽を流し、ビールを飲みながら日本海に沈む夕陽を鑑賞する。

残念ながら今日は雲が多く、水平線に沈む美しい夕陽ショーは見られなかった。


2008年8月3日(日)


翌日は夏らしい暑い日になった。今日は出雲崎周辺をちょっとポタリングして、長岡へ移動する。

まずは日本海夕日公園で松尾芭蕉像と記念撮影。

芭蕉は1689年に奥の細道の旅で出雲崎の大崎屋に宿泊し、「荒海や佐渡によこたふ天河」の名句を残した。

 


出雲崎の「妻入りの街並み」

江戸時代、出雲崎は徳川幕府の天領となり、佐渡の金銀陸揚げ港として、また、北前船の発着港として栄えました。
また、北国街道の宿場町として多くの人々が行き交い、この地方一帯の政治、文化、交通の中心都市でもありました。
その間、良寛がこの地に生まれ、芭蕉が訪れ「荒波や佐渡によこたふ天河」の名句を残し、十返舎一九・吉田松陰など数多くの文人墨客の往来がありました。
海岸線に沿った三・六キロメートルにおよぶ 「妻入り」の家並は、北国街道の名残であり当時の面影を今に伝えています。
 「妻入り」とは、切妻側面の三角形の壁面方向に出入口を設け、これを正面とする建築様式のことです。
平成八年三月には、建設省の歴史国道として選定され、同年六月には新潟県の「景観形成推進地区」に指定されました。
その後、「ふるさと新潟の顔づくり事業」として道路の景観舗装や照明灯などを整備しました。
この妻入りの街並は全国的にも珍しく、訪れる人々にやすらぎを与えてくれる光景であり、末永く後世に伝えていきたい風景です。



「妻入りの街並」をゆっくりポタリング。良寛と夕日の丘公園から日本海と佐渡を眺める。

とにかく暑い。ジリジリと焼けるような暑さの中、軽くポタリングして車に戻る。


道の駅「越後出雲崎 天領の里」に併設されている「天領出雲崎時代館」を見学する。

出雲崎特有の建築様式・妻入りの街並を再現した、天領の時代へタイムトリップすることができる。


のんびり、そしてたっぷりと過ごした弥彦・出雲崎。

ジェロの演歌を感じるまでには至らなかったが、日本海の自然と歴史をたっぷりと味わうことができた。

さあそして、いよいよお待ちかねの長岡花火大会へ行こう!


長岡花火大会

日本三大花火は「秋田・大曲」「茨城・土浦」「新潟・長岡」。日本三大花火大会のうち、競技大会でないのは「長岡まつり大花火大会」だけ。復興への願いや、慰霊の念、長岡再興に尽力した先人への感謝の気持ちが込められた花火大会 だ。
毎年8月2日と3日の二日間にわたって信濃川河川敷で開催され、打ち上げ数は二日間の合計で約20,000発、人手は103万人にものぼる。


なんとか会場までやって来た。いやはや、この土手まで到達するのも至難のことだった。

さすがに物凄い人の数だ。そして交通規制が厳重だ。

遠くに車を置いて、自転車でなんとか一番近い土手裏の住宅地までやって来た。


ずっと歩いてくると、とんでもない距離を歩かされるが、やはりこういう時の自転車の機動力は抜群だ。

都会の花火大会は何度となく鑑賞してきたが、これほど大きな会場は初めてだ。

天気も最高。こんな最高のロケーションがあるのか? ってぐらい周囲は視界を遮るものが何もない。


日本一の大河・信濃川を舞台に、壮大な花火の数々が夜空を飾り始めた。

次々と打ち上げられる花火の競演に、真夏でも鳥肌がたつほどの感動を覚えた。


言葉は無用。美しく豪華に舞い上がり、そして静かに舞い落ちる光の色彩に、
ただただ魅了された。

写真は、数多くの作品の中のほんの一部だ。とにかくここに表示出来ないほど素晴らしい花火の連続だ。


でっかい夜空に、でっかい正三尺玉が大輪の花を咲かせる。腹の底に響き渡る音に圧倒される。

見事だ。言葉にならない。そしてなぜか涙が出てくる。

あぁ、花火ってなんて美しいのだろう。こんなに感動した花火大会は生まれて初めてだった。


(2008/8/2〜8/3 走行)


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