峠への招待 > ツーリングフォトガイド >  ’2003 >  弘西林道・釣瓶落峠


       


能代市役所前、竹内旅館の二階からぼんやりと外を眺めている。

ようやく雨はあがったが、通りに人影は見当たらない。

この二日間、本当によく走った。白神山地を150キロ走り抜けた。

辛く、長かった初日の弘西林道。

二日目の釣瓶落峠は朝からずっと雨に降られた。

秋田・青森の旅も今日で終わりだ。

今ようやく、旅のフィナーレにふさわしいゆっくりとした時間が訪れようとしている。



 「釣瓶落峠 ---白神山地に 思いを馳せて---」 糟谷 武彦   
 

ニューサイ351号、糟谷氏によるこのツーリングレポート に、すっかり魅了されてしまった。

ひとつの峠に思いを込め、たっぷりと時間をかけ旅を創り上げる。

そして、ツーリズムの真髄を見事なまでの描写と表現でまとめ上げている。

いつか自分も同じようにこの峠を訪れてみたい、同じようなツーリズムの世界に浸りたいと考えていた。

「釣瓶落峠」 その名は知ってはいたが、正確な場所も、どんな峠かも知らなかった。

青森と秋田の境にあると知ってからは、そう簡単に行くことのできない峠としか思っていなかった。


もう、ほとんど本州の北のはずれである。

一泊や二泊のツーリングでは到底行くことのできない、とにかく遠い夢の峠であった。 

訪れる機会は2003年の9月にやってきた。

遅い夏休みを9月にとることになり、思い切って、秋田、青森へ旅立つことになった。

糟谷氏のレポートを何度も読み、ニューサイ330号「NC道案内 弘西林道」を参考にプランニングしはじめた。

 


弘西林道 (記念碑より)

 

津軽の奥地を通って、弘前と西海岸を結ぶ壮図は地域住民の長きにわたる悲願であった。

昭和三十四年、この地に林道開設の機運が俄かに高まり、弘前市、深浦町、岩崎村、西目屋村よりなる

弘西林道開設期成同盟会を組織し、宿願達成のため強力な陳情を重ね遂に林野当局をして林道開設の壮挙につかしめた。

昭和三十七年、この人跡稀なる原生林に初釜を入れ、爾来十有余年の歳月と幾多の困難を克服し、

昭和四十八年九月、総工費九億五千万円を投じ、総延長六十キロメートルに及ぶ産業開発道路として遂にその完工をみるに至った。


 詳細を知れば知るほど、弘西林道から釣瓶落峠を越えるルートは一筋縄ではいかないことがわかってきた。

 60キロにも及ぶ弘西林道は、そのほとんどが無人地帯のダートだ。そして3つの峠を越え、その標高差は1600mにも達する。

 宿の場所も限られ、途中アクシデントが起こってしまってはエスケープする方法が全くない。

 果たして、走り切ることができるのであろうか。体力がもつのであろうか。そして、何処に泊まろうか。

 何処に車を置き、どうやって戻ってこようか。そして、何処から走り始めようか。

 あまりに広い周回コースとなるため、プランニングに相当頭を悩ませることになった。



鳥海ブルーライン、男鹿半島と巡って、いよいよ弘西林道・釣瓶落峠の日を向かえた。


前日は、男鹿半島から東能代駅まで移動し、その夜は駅近くの田んぼ脇で、満天の星空の下、車中泊とした。

今日は時間との勝負になる。走る前からそう思っていた。


いつもの、呑気なツーリングとはレベルが違った。

8時には走り出し、ニューサイのレポートより常に時間的には優位に 立っていたかった。

とにかく、この弘西林道は、甘い考えは通用しないと思っていた。


砂小瀬に宿がとれればよかったのだが、予約できたのはそこから約10キロ先、田代にある「ブナの里 白神館」である。

当時の糟谷氏との年齢差、10キロ余計に走らなければならないハンデ 、それを考えると、どうしても1時間は先行する必要があった。


出発地は東能代駅。ここから輪行で陸奥岩崎駅まで行く。

5:48分の始発電車に乗り、岩館駅で乗り換え陸奥岩崎駅に7:17に着く。


五能線左手には日本海。 右手には朝日を浴びた白神山地が車窓から見え始める。

逆光のシルエットの中、世界遺産白神山地の巨体がいよいよ大きく、そして偉大に目の前に迫ってくる。


とうとうここまで来てしまったか。頭の中には、自分の今いる場所が日本地図の中に描き出された。

こんな遠い所に今いるのか。 大きな日本列島の中では、今の自分の存在などほんの小さな点でしかなかった。

降り立った者は自分一人だけだった。

忙しかった。駅に着いて一服する余裕もなく組み立て始めた。


天気は晴れ。穏やかな、そして平凡な平日の朝である。駅前は何もないかと思っていたが、それでもちょっとした食料なら手に入りそうだ。

すでに、出発前から装備を整えていたので何も必要なものはなかった。


ランドナーの部品が少しずつ組みあがると、いよいよ緊張感も高まってくる。

GPSをセットし、地図、空気圧、ブレーキ、 装備を一つ一つを 確認していく。

 

前半は空気圧を高めにセットし、少しでも距離を稼ぎたい、そんな思いでフロント・リアともに、高めのセッティングにしていた。

一泊ということで、着替え、予備の食料、そして輪行袋と、かなりの重量である。


フロントバッグ、サドルバッグ、 そしてリュックというフ ル装備になってしまった。

白神ラインの立派な石碑に導かれ、西目屋への長い長い峠越えが始まった。

走り始めは、笹内川に沿った綺麗な舗装路を快適に走る。

すぐに「西目屋73キロ」の標識が目に入る。


73キロという、とてつもない距離。

わかっていながらも、その数字を見た時には、あらためて身震いがしたほどだ。

時刻は8時。予定通りだ。

この1時間の差をどこまで保ち続けることができるであろうか。


最後の峠、 津軽峠をはたして何時に越えることがで きるであろうか。日没までには宿に着きたい。

できることなら、小1時間程度のランチタイムを楽しみ、ブナ原生林の写真をカメラに収めたい、なんて考えていた。      

 

60キロの無人地帯。

見知らぬ土地で、最果ての地で、こんな表現をされてはいくらなんでも緊張する。


走り始めれば確かに誰の姿も見えない。それでも、時折車が自分を追い越していく。

いつもなら、車の存在など歓迎しない自分であるが、 今日はまるで逆であった。

あまりに「無人地帯」という言葉が心にひっかかっていたために、車の存在は多少なりともほっとさせてくれる。


道は次第に緩く登り始め、道幅も徐々に狭く、山肌が迫ってくる。

前半は、ペースを保ち、体力を温存しよう、なんとしてでも二つ目の天狗峠までは順調に行きたい、そんなペース配分を考えていた。

道はじきにダートへと変わった。

ただし道幅は結構あり、路面も締まっているため、ローギヤながらも頑張って登り続ける。


一見走りやすそうな感じではあるが、いかんせん荷物が多かった。

もう少し身軽であればスルスルと登っていけそうな勾配であったが、これが意外と手強かった。


エアーを目一杯入れたのが逆効果だったのか、リアの滑りが多く、小石に35Bが食いついていかない。

エアーを抜いたら余計に辛いと考え、そのまま無理をする。

海岸から一気に700mのヒルクライムだけに、やはりそれなりにきつい登りが予想通り待ち受けていた。
 

標高480m付近から舗装に変わった。

このまま延々とダートが続くのかと思っていたが、白神ラインも世間のブームの影響か、結構整備が進んでいるようだ。


おかげでいくらか楽になった。時折押して歩いていたのだが、舗装になってペースを回復することができた。

しかし、それでもやはり荷物が重すぎた。

こんなことなら、着替えも、輪行袋も駅から宅急便で送り返せばよかった、と今になって思った。


勾配はずっと7〜8%の登りが続く。風もなく静かな林道に響くのは、タイヤが小石をはねる音だけだ。

山深く、鬱蒼と生い茂ったブナの緑が神秘的で、峠越えの醍醐味を味わえる雰囲気がずっと続く。


路は再びダートへと変わった。「西目屋56km」の案内が現れ、林道「茶臼岳線」の分岐で一息つく。

峠まではあとわずかではあるが、すでに額からは大量の汗が出始め ている。


休憩とはいえ、呼吸を整えたらすぐに走り出す。

とにかく、時間との勝負だ。こうした5分、10分の休憩が馬鹿にならない。


そこから一ツ森峠まではわずかであった。

峠らしさを期待していたのだが、峠には何の標もなく、味気ない道路標識が建っていた。


「一ツ森峠 深浦町 西目屋55km」 と記された標識を見て、まだまだ先は果てしなく遠いと唖然とする。

これだけ登っても、まだ55km、いやそれ以上残っている。ますます気持ちは 焦ってきた。

下りに入る。

ダートの下りでは、太いタイヤと、軽いブレーキレバーが欲しかった。


35Bではやはり小石の上では今ひとつ不安定で、思った通りのライン取りができない。

空気圧を少し下げればハンドリングも安定するとわかっていながら、先を急ぐ気持ちに、そのままフロントを飛び跳ねながら下っていく。


中腰、そして常にブレーキをかけながらのダウンヒルは結構疲れる。

路面を読みながら、グリップの少ないタイヤでのコーナーリングは結構スリル満点だ。

ダウンヒル途中、「白神の水 美人になる水」と書かれた水場がある。

少なくなったボトルの水を補給し、おいしい水で一息つく。


意外と車が行き交うのには驚いた。

20分に一台は車がやってくる。RV車ばかりではなく、乗用車も多い。

これならば、万一トラブルが起きて動けなくなっても何とかなりそうだと安心する。


しかし、さすがにこの林道に入ってからは携帯電話は「圏外」で使えなくなっていた。

林道を抜けるまでは多分だめであろうから、車の存在は自分にとって最後の頼みの綱である。


一ツ森峠から約400m下って、11:20分 追渡瀬大橋に降りてきた。

ここまで、なんとか予定通りの時間で走ってきた。しかし、つらい一日になりそうだ。

ほとんど休憩らしい休憩をとっていない。呼吸を整え、喉を潤したらすぐに走り出す。


 

追渡瀬川の深い谷を眼下に再び登り始める。

一度下った後に再び登り返すのは、いつでも嫌なものだ。一度冷えてしまった筋肉はなかなか元には戻らない。

なんでもない勾配が結構重く感じるものだ。


次第に空腹になってきた。時刻もそろそろ昼に近い。

一つ目の峠を越えて、本当ならばここでゆっくりと休憩をとりたいところだ。

路は舗装から再びダートへと変わった。時刻は12:00。標高506m。

お腹がすいた。そろそろエネルギーを補給しなければ危ない状態になってきた。

天狗峠への登りは意外と走りやすく、路面も安定している。大きな石もなく、勾配も適度でいいペースで登り続ける。
 

空腹をチョコレートや、サラミでごまかしながら、なんとか天狗峠までは我慢しようと先を急ぐ。

このペースを崩してしまってはこの林道を走りきれない。

ここまでの時間配分を振り返ってみても、まったく余裕はなかった。

ここで、少しでも自分を甘やかしてはいけないと、重い足で踏み込む。

路面はまたしても綺麗な舗装路に変わった。

こんな場面ではありがたい舗装路であるが、逆に近い将来全線舗装になってしまうのであろうかと、考えてしまう。


カーブを曲がると、突然異様な光景が目に飛び込んできた。観光バスが路肩に止められ、その先にはカメラの列、列、列。

それは、「無人地帯」という言葉を忘れさすには十分すぎる光景であった。

 

都心では、JRの駅に白神山地の観光ポスターが大きく貼られている。

五能線から白神山地を巡るJRのポスターだ。世界遺産白神山地を散策するツアーもいろいろと企画されている。

そんなツアーの一行であろうか。皆、取り付かれたようにカメラのファインダーを覗いている。


高価な大型カメラ、立派な三脚、そしてみなさん年配の方ばかり。

バスで林道を走って来て、決まった所で全員降りて撮影大会。限られた場所から限られた景色を争うように撮影している。


この林道の険しさも、長さも感じることなく、周囲の雰囲気も、湧き水のうまさも知ることなくバスで走り去って行く。

旅の楽しみ方は人それぞれだけれど、自分には決して受け入れることのできない眺めであった。


12:50 ようやく天狗峠にたどり着いた。

疲れと空腹で、これ以上は無理はできそうもなかった。時間的にも追われてきた。

当初のリードも徐々に追いつかれ、ここでものんびり休むわけにはいかなかった。


大量の汗でシャツの色がすっかり変わってしまった。体温の低下を避けるためにここで長袖に着替える。

着替えを送り返せばよかったなどと思っていたが、ここで着替えができたことはありがたかった。

とにかく気持ちがよく、生き返ったような気分であった。


短い時間であったが、道路脇に腰を下ろし、うまいビールと、おにぎり、缶詰で静かなランチタイムを楽しむ。


 

天狗峠を越えて、ほんの少しばかり安心してきた。ここまでくれば、あとは気合で津軽峠を越えるだけだ。

自分にとっては、かつてないハイペースのツーリングだ。本当に休憩らしい休憩がまったくない。


そうまでしても、糟谷氏のペースにわずか30分ほどのリードだ。

所詮、同じペースで行けるとは考えてはいなかったが、レポートを再び読み返してみると、いかに糟谷氏が健脚であったがよくわかる。

天狗峠からの下りで、とうとうエアーを少し抜くことにした。

これまでは走りやすさよりも、スピード優先の考えで走ってきた。


しかし、さすがにダウンヒルの不安定さは耐え難く、フロント、 リアともバランス をとることに した。 

エアー抜きの効果は抜群であった。こんなことなら、もっと早くからエアーを抜くべきだったと反省する。

下り始めてこれが本来の感覚だったかと、今になって気づいた。


 

小石に乗り上げてもしっかりとしたグリップ力でハンドリングに不安はない。

コーナーも今まで以上に早くクリアできる。とにかく、ダウンヒルを楽しめる。

ああ、やはり空気圧は本当に大切だ、などど今更ながら素人みたいなことを呟く。


ここまで1200mを登り、そしてダートのダウンヒルを下ってきた。

休む暇なく登り続け、体力はそろそろピークに近づきつつあった。

足はもちろんのこと、首、肩、指先までかなり疲労が溜まっている。全身汗まみれ、頭も水を被ったような状態だ。 

14:00 赤石川まで降りてきた。

さあここから、いよいよ最後の峠、津軽峠を目指す。


気分はだいぶ楽になった。もうリーチである。残りあと400m。何とかなる。

前半を振り返ると、最初の峠、二ツ森峠が一番辛かったように思える。


走り始めということもあるが、ここまで大量の汗をかくと、さすがに体も軽くなってくる。

とにかく疲れてはいたが、これで最後と思うとどこからか力がみなぎってくる。


考えてみれば今日一日のルートは、荷物の量からして四国、京柱峠・落合峠を越えた時に近いものがある。

あの時も、最後はこんな状態だった。疲れ切ってはいたが、最後はどこからか力が湧き出てきたものだ。


峠まであと100mになった。なんとか乗ってたどり着きたかったが、もう、踏み込む力がなかった。

一息つくと、なんと帽子のつばから汗がポタポタと落ち始めた。

一体何の水かと一瞬びっくりするが、さわってみると、あまりの汗で帽子がビショビショになっている。

ここまで汗をかいていたのかと、さすがに自分でも驚いた。


ここは最強の林道に間違いない。あらためてそう思った。とにかく凄い林道だ。

そして、にせのピークにだまされながらも、ついに津軽峠に到着した。


峠は意外にも広々としており、大きな「津軽峠」の案内と、なんとバス停があった。

前半二つの峠とはイメージの違う、明るい感じの峠である。 
 

最後の峠にたどり着いて、何故か感激がなかった。

あまりに長すぎたのか、それともあっけらかんとした峠のせいなのか、待ちに待った峠のはずなのにあまり感動を味わうことがなかった。
 

とりあえず「終わった」、という気持ちのほうが大きかった。

峠の脇から小道があり、車でやって来た若い女の子二人が軽装で歩いて行った。

時間があれば、ちょっとした散策を楽しめそうであるが、残念ながら今日の自分にはそうしたゆとりがほとんどなかった。


時刻は16:00になろうとしていた。自分の中では、十分に満足のできる時間であった。

ひょっとしたら、この峠を夕暮れに越えるかもしれない、と最悪考えていただけに、ここまで頑張った自分に納得ができた。

しかし、ピークを越えたとはいえ、まだ宿まではたっぷりと距離が残っていた。



 

とりあえず、これで先が見えた。ここまでこなければやはり安心できなかった。

もう、これ以上登ることもなくなった。ほっとした。


雨がポツポツと降り始めた。

いつの間にか空は雲で覆われ、太陽が隠れていた。


登ることに夢中だったために、天気の変化に気が付かずにいた。おかげで、いくらか汗も引き始めていた。

さすがにここまで来ると、ダートの下りにも飽きがきていた。


最近はあまりダートの下りにお目にかかれないと嘆いていたが、ここでは、嫌というほどダートの連続である。

オフロードバイクであれば、気持ちよく飛ばせそうなこの林道も、さすがに非力な自転車では、もうたくさんだといいたくなるぐらい、

それ は長いダートの下りであった。
 

暗門大橋が本当に待ち遠しかった。早くこのダートを抜け、舗装路を走りたかった。

体が舗装路を求めていた。それほど、全身が疲れていた。


16:30 やっとの思いで舗装路に出てきた。半日ぶりの全面舗装である。

舗装のありがたさをこれほどしみじみ感じることも珍しかった。


滑るように転がるホイール。サドルに腰を降ろせる。

ブレーキレバーを握らなくいい。そして、緊張感から解放される。

「ああ、なんて楽なのだろう・・・」


暗門大橋がやっと目の前に現れた。

そして、とうとう弘西林道を抜け切った。


広々としたロケーション、キャンプサイトであろうか、車が一台止まっている。

なかなか綺麗な所だ。ようやく人工的な風景を目にして、やっと人里へたどり着いたという感覚だ。


路面は格段によくなり、ここからは頭の中で時間配分を計算できそうだ。

何とか17:30までには宿に着きたい。ゆっくりとくつろぐには、その時間がぎりぎりであった。

 


朝の日差しが嘘だったかのように、すっかり雨模様になってしまった。

路面はしっとり濡れ、美山湖に沿った緩い下りは寂しい限りの風景だ。


「シャー」という35Bの音だけを残し先を急ぐ。行き交う車も、人家もまったくなく、ただもくもくとペダルを回し続ける。

明日訪れる釣瓶落峠への分岐を過ぎると、あたりはいくらか人間の気配が感じられ始めた。
 

汗と、雨、埃、そして泥。全身疲れ果て、汚れ果て最後の力を振り絞る。

途中、ついに耐え切れず、初めて見つけた商店で体を休めた。

これまでの自分の努力に対して、ようやくここで休憩することを自分で許した。


缶ビールで喉を潤し、湿ったタバコに火をつける。そして雨具を脱ぎ、蒸れた体を冷やす。

もう、充分だった。これ以上動きたくなかった。本当に、長い、長い林道だった。心の底からそう思った。


残り10kmがまた長かった。早くこの状態から解放されたいと言う気持ち、近づかない田代の町。

まだかまだかと苛立つ。最後はちょっとした登りになって、ついに体力も限界 に達した。

そして、ついに見えた、「ぶなの里 白神館」。荷物を持って、倒れこむようにフロントへ向かった。

手が振るえ、宿帳にまともな字が書けなかった。

 

 

部屋に入るなり、荷物を放り投げすぐにソファーに横になった。両手両足を投げ出して、しばらく動けなかった。

着いたという安心感から、一気に全身の力が抜けた。ほとんど握力もなくなり、立っているのが辛い状態だった。


とりあえず乾杯だった。無事に走り終えた事に対して祝ってあげたかった。

そして、この瞬間のビールのうまさは格別だった。辛ければ辛いほど、この瞬間のビールはとにかくうまい。


疲れきった体を湯船に沈めると、「ふぅーー」という溜息とともに全身の力が抜けた。

酷使した全身をマッサージし、腰を伸ばす。もう、このまま眠ってしまいたくなるほど心地よかった。


夕食は大広間で「白神山麓料理」に舌鼓を打つ。

家族連れの宿泊客が多い中、たっぷりと、ゆっくりと時間をかけ料理を楽しむ。

豊富な山の幸に酒も進む。おいしい地酒までいただき、 至福のひと時であった。
 


朝になった。携帯のアラームで目が覚めた。

窓からは乳白色の空模様が見える。ああ、やはり今日は雨だ、と直感する。


全身が疲れきって思うように動かない。そしてなかなか起き上がれない。

一夜明けてしまえば、昨日の夜の極楽も夢物語、また厳しい一日の始まりだ。


昨日に比べれば標高差も少なく、比べ物にならないぐらい楽なコースであるが、やはり雨となると気持ちは沈みがちだ。

朝食を済ませ身支度を整えると、自然と気分は引き締まってくる。


ルート、時間、標高差、食料・・・。色々な情報を頭の中にインプットする。

今日一日の大まかなストーリーを組み立て、いざ出発する。

 

半渇きの雨具を着て、9時過ぎに宿を後にする。

本日の食料をまず手に入れ、砂小瀬までじりじりと登り返す。


走り始めると不思議なもので、昨日の疲れも遠い昔の記憶のように思えてくる。

疲れていても、またこうして走り出せるという喜びに何もいうことがない。

たとえ雨であろうと、いよいよ間近に迫った釣瓶落峠への思いがより一層高まってくる。

普通の旅では決して味わうことのできない感動。

どうして自転車の旅はこれほど深く心に刻み込まれるのであろう。


濡れた舗装路をゆっくり進む。深く、そして低く白いもやがかかり、周囲の山々の姿も確認できない。

そんなちょっとした幻想の世界の中、今日で終わる長旅を思い返していた。


冴えない天候の中、道路脇の津軽りんごの見事な色彩が目に飛び込んでくる。

今日は昨日と違って余裕がある。こうして写真を撮ることも、気に入った所で一息つくこともできる。

「津軽ダム」 大きな看板に見事な完成図が描かれている。

目屋ダム拡張のためにこのあたりはダム工事が始まろうとしている。


この先数年のうちに、このあたりは様変わりすることになる。

必要なダムであればしかたがない。災害防止のためであればしかたがない。


しかし、今ある目の前の光景がこの先埋没してしまうことは許せない。

豊かな自然、多くの恵みと多くの生き物が育むこの白神の自然を壊して欲しくはない。


通りすがりの旅人が偉そうなことは言えないが、ダム開発はあまりにも巨大で、そのスケールは圧倒的だ。

いつか再びここを訪れる時、いったいどうなってしまっているのだろう。

そう思うと、寂しくもあり、 そしてこの瞬間をしっかりと自分の目に 焼き付けておきたくなる。

雨は強くはならないものの降り続いている。今日一日天気の回復は期待できそうもない。

湯ノ沢橋を渡ると、いよいよ釣瓶落峠への分岐だ。

糟谷氏のレポートにあった民宿佐藤酒店が確かにその場所にあった。

レポートに描かれていた一夜の様子は、自分にとって最高の旅情を伝えてくれた。

できることなら自分も同じようにここに宿をとり、二日目の朝を向かえたかった。

くしくも、同じように雨の釣瓶落峠となってしまった。


カーテンが降ろされた店の正面から中を伺うが、人の気配は感じられない。

果たして民宿として今でも営業しているのであろうか、それもわからないほどひっそりとしていた。


ああ、あの二階から糟谷氏は二日目の朝を向かえ、同じように雨の気配を感じたに違いない。

あまりにも似たような状況になり、ますます釣瓶落峠への情景が深まってくるのであった。





 

舗装間近を思わせる綺麗な子砂利のダートになった。

路は、緩く、本当に緩く登り始める。

相変わらず白く立ち込めたもやに前方の峠の様子も伺い知れない。  

道幅はしっかりとしていて、昨日の弘西林道とは表情が一変する。

走りやすい、そして気持ちを穏やかにしてくれる峠へのプロローグだ。


静かな峠道かと思っていたが、しきりにダンプが降りてくる。

雨のおかげで埃にまみれることはないが、乾燥していたならばかなりの砂埃を撒き散らすことだろう。 

路肩に寄せダンプを避ける。ダンプの運転手もスピードを落として通り過ぎる。

工事の車だろうか、この峠も、もうまもなく完全舗装になるに違いないと感じさせる。


ダンプの出所は尾太鉱山であった。

何を採掘しているのか定かではないが、得体の知れない建物脇には、昔なつかしいコークスのような物が黒く積まれていた。

ここから路はようやく峠路らしくなってきた。

道幅も細く、山肌を縫うように標高を少しずつかせぐ。

しかし、路面は綺麗に整地されとても走りやすい。


風もなくしとしとと降り続く雨。湿度の高い中、雨具の中は汗だくだ。

前を開け、袖をまくり体を冷やす。時折休んでは、全身クールダウンする。


GPSが釣瓶落峠への方向を示してくれる。

しかし、生憎視界が悪くその方向は真っ白で確認することができない。

湯ノ沢川に沿って、ほぼ直線的に進む。川沿いの道は自然とペースもゆっくりとなる。


糟谷氏のレポートを検証するかのように、休憩してはこの道筋を振り返る。

まるでタイムスリップしたかのように、そこに描かれている光景が目の前に展開してくる。


年月の差も、季節も違うものの、糟谷氏が感じた旅情に少しばかり近づけた感じがした。

そして、 釣瓶橋が現れた。

ここから先は当時の様子では、工事のさなか苦労して峠まで越えたと記されているが、すでに綺麗な舗装路が出来上がっていた。

いよいよ近づいてきたか、と確かに思わせる。


期待に胸が高まる。一体どんな峠、どんなトンネルが待ち受けているのであろう。

GPSがほとんど目標の位置に達した。

その直後、緩いコーナーを曲がった先にぽっかり口を開けた釣瓶落峠のトンネルが現れた。


 

開通前の写真から比べ、いとも簡単に峠にたどり着くことができた。

峠のトンネルにふさわしい、小振りのアーチ型、そして出口がかすかに見える、これぞ峠越えと思わせるトンネルである。


車一台通ることのない、静かで落ち着いた峠だ。弘西林道よりよっぽどこっちのほうが静かだ。

とりあえずトンネルの中に入り、ようやく雨から逃げることができた。

釣瓶トンネル 1991年 12月 と入口に記されている。

それから約12年の歳月を経て、今こうして自分も同じ場所にたどり着くことができた。


雨具を脱ぐ。

唯一乾いたトンネル内が、今の最高の休憩場所だ。


そして、雨と汗で冷たくなったシャツを着替える。

着替えのありがたさをここでも痛感した。

濡れた体から解放され、全身リフレッシュされたような感じであった。

気温は18度。吹き抜ける風が意外と冷たく、長袖、長ズボンが役に立った。

降り続く雨を眺めながら、もう一度レポートに目を通す。


旧峠はこの上にあるらしい。せっかくここまで来たのだから訪れたいと思っていた。

しかし、すっかり着替えてしまった後では、重い腰をあげる気にならない。


それでも旧峠へのルートを探してはみたが、それらしきものが見当たらなかった。

残念ではあったが、このトンネルだけでも十分満足であった。

 

時刻は13:00 今日はたっぷりと時間があった。

色々な思いに満たされながら、今朝買ったおにぎりをほうばる。


展望は全くない。細かな雨がトンネルの先に降り続く。

この後は再び、この雨の中を走らねばならないと思うとさすがに気が重い。

それでも、この旅の最終目的地、釣瓶落峠に今いるという実感がじわじわとこみ上げて来る。

雨でよかったのかもしれない、と思った。雨が似合う峠だと思った。

しっとりと、落ち着いたこの峠路は、こうして旅情を胸に抱いて越える峠だと思った。

ましてや、紅葉の季節であれば、それはもう、言葉にならないほど深く、心に残る一日であろう。

この峠を越えられてよかった。

きっと、自分のこれまでの峠越えの中でも、いつまでも思い出として記憶されるだろうと感じた。

一年中、こんな生活が、こんな毎日が過ごせたらどんなに幸せだろうと感じる。

心は穏やかだった。

ビールの心地よい酔いと、満たされた時間の中で、あらためて自転車の旅の魅力を感じていた。 

 


下ってしまえば終わってしまう。トンネルを後にしてしまえば終わってしまう。

二日間の、そして今回の秋田・青森の旅も終わってしまう。


峠を去る時は、いつもこんな寂しさを感じる。

苦労して、頑張って登ってきた峠路。越えてしまうとあっという間に自分の視界から消えてしまう。


いつかまた来ることができるのであろうか。いや、もう二度と来れないのではないだろうか。

そう思うとなかなか去りがたい。苦労してたどり着いた峠は、より一層そんな思いにかられる。

濡れた雨具に腕を通す。その冷たさが自分を現実に引き戻してくれる。

その後、旅の終わりを迎えてくれたのは、降り続く冷たい雨であった。


楽なコースのはずであった。釣瓶落峠までの標高差は500m。

そこから二ツ井の駅まではずっと下り。駅から輪行して東能代へ戻る予定だった。


峠のトンネルを後にする。走り始めれば、一気に厳しい世界が待ち受ける。

ダウンヒルとはいえ、決して快適とは言えない。


すでに靴の中は雨水でグチョグチョ状態。ペダルを漕ぐたびに水が染み出るような感じだ。

フロントバッグ、サドルバッグ、そしてイデアルもかなりの水を吸って色が変わってきた。


眼鏡についた水滴に前方の視界も妨げられる。

ブレーキもほとんど効かず、ゆっくりとコーナーをクリアしていく。


さすがにここまで水浸しになると、不快さも度を越してどうでもよくなってくる。

白石沢から藤琴川に沿ったダウンヒルは、それは長い長い道のりだった。峠から駅までは地図上で約33キロもある。

晴れていれば感じ方も違ったのだろうが、変化の感じられない真っ白な世界の下りはより一層長く感じられた。


静かな、そして寂しい下りだった。

ダウンヒルは、もっと明るく、もっと快適に下るのがツーリングの最後にふさわしい。

しかし、今日の下りはなかなかゴールの見えない、辛いものであった。


駅に着いた時には2時間半も経過していた。もう、これ以上は雨の中は走りたくない気持ちで一杯だった。

駅には学生が数人いて、この雨の中を走ってきた自分を皆じろじろと見ている。


眼鏡の滴を拭き、時刻表を見ると、運悪く丁度列車が発車したばかりだった。

歩くたびに靴の中がクチュクチュと音をたてる。一刻も早く靴下を脱ぎ捨てたかった。

次の列車まで約1時間。東能代まで走ると約18キロ。


ばらすか、走るか。

走りたくはなかった。雨から逃げたかった。

しかし、この状態で列車に乗ることも、じっとしていることもできなかった。

走ってしまえば約1時間。結果早く戻れる。しかたない、再び雨の中を走り出す。

辛いフィナーレだった。

 


国道7号へ合流すると交通量は物凄く、トラックの巻き上げる水しぶきを頭から被る。

風圧に負けずとしっかりハンドルを握るが、それでも登りでは路肩に吹き飛ばされる。


遠慮して減速してくれる車はほとんどいない。直線の国道は皆物凄いスピードで自分の横を通り過ぎる。

 一瞬たりとも気の抜けない時間が延々続いた。


それでも輪行するよりは早く着きたいという意地で、必死にペース保つ。

雨よりも汗の量のほうが多く、雨具の中はサウナ状態だった。

17:00 なつかしい風景が見えてきた。東能代の街だ。

 

雨も小降りになり、駅までの道をゆっくりと進む。

ようやくスタート地点に戻ってきた。


駅に停めておいた車が目に入ると、我が家に帰ってきたような、なんとも言えぬ安心感に満たされた。

本当に、長い長い二日間だった。そしてよく走った。よく頑張った。


ふやけた手、水浸しの足。雨水、泥水で汚れた全身。

よく走ったランドナー。トラブルひとつなく走り抜けた。本当に頼りになる、最高のランドナーだ。

素晴らしい旅を演出してくれたランドナーに、ただただ感謝であった。


 竹内旅館の泊り客は自分ひとりだけだった。電話を入れた時間も遅かったため、夕食は近所の小料理屋で過ごした。

 にぎやかな宴の中で一人座敷に案内された。隣ではどこかの会社の接待、上の階ではラグビー部のOB会で賑わっている。

 
   雨に濡れた5万図を見ながら、この二日間を振り返った。あらためて、自分の走りぬけたコースを振り返ってみる。

 今となっては、走る前の不安や緊張もすべていい思い出となった。身体は疲れてはいたが、走り終えた満足感は格別なものであった。

 最高のもてなしと、最高の海の幸に囲まれて、かつてない幸せな夜を楽しませてもらった。

 
   糟谷氏のツーリングレポートに出会わなければ、決してこの地を訪れることはなかっただろう。

 時が過ぎ、またあの文章を読み返した時に、今度はあこがれだけでなく、自分の思い出としてよみがえってくることであろう。

 本当に、素晴らしい作品に出会えてよかった。そして、自転車に乗っていてよかった。いい旅だった。


 

距離: 73.6 km
所要時間: 9 時間 37 分 35 秒
平均速度: 毎時 7.6 km
最小標高: 2 m
最大標高: 763 m
累積標高(登り): 2028 m
累積標高(下り): 1905 m

距離: 77.2 km
所要時間: 7 時間 58 分 46 秒
平均速度: 毎時 9.7 km
最小標高: 5 m
最大標高: 622 m
累積標高(登り): 686 m
累積標高(下り): 814 m

(2003/9/5〜6 走行)


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