峠への招待 > ツーリングフォトガイド >  ’1997 >  富倉峠



長野県飯山市(標高681m)
飯山市と新井市とを結ぶ飯山街道が、東頚城丘陵南西部を越えるところにある。



今日は、ニューサイのレポートを参考に、涌井峠と富倉峠を目指す。涌井峠に続いて富倉峠編。
 

ニューサイクリング 1996年9月号 No.387 より



涌井峠から下った後は糟谷氏のレポートが頼りとなった。

地図では不明確なところがいろいろあって、高度計も、コンパスも役にたたないので不安であった。


問題は富倉峠へ入る分岐が分かるかどうかであった。

一切案内はないので、レポートの内容と勘と決断だった。
 

こちらの登りも辛いところが結構あって、かなり汗をかかせてもらった。

さて、問題の分岐はいったいどこなのであろう?


尾根にそっていくわけであるから、登り尽くしたあたりにあるのかと考える。

糟谷氏がかなり慎重に書いているのであるから、あまり目立たない分岐なのかと緊張する。


しばらく不安を抱きながら行くと、ようやくそれらしき小道が登っている。

一気に自転車で突っ込むほど勇気はなく、自転車を置いて、しばし歩いて探索してみる。 
 

かなり奥まで歩いたところで、ようやく富倉峠道の看板を発見、これしかないと確信する。

自転車に戻り、いざ山道行軍となる。

最初だけ少々押しだが、すぐに道も安定してくる。
 

これだけの道が現存しているという事は、人の往来が今でもあるに違いない。

しばらく進むと、なんと林道と呼べる道に合流した。これは予想外。レポートにも地図にもない。


丁度小広場になっていて、看板には左はなんとか、右はなんとか茶屋なんて書いてある。

ここが峠か? 確か峠には立派な石碑があるなんて書いてあったはずだが・・
 

小高い山へ通ずるルートがあり、自転車を押し上げる。するとそこには立派な石碑が立っていた。

しかし、どこにも峠の名はない。果たしてここが富倉峠なのか?


どうも状況が良く分からない。ルートを間違えたか? いやこれしかない。

峠らしさがないので、自転車を降ろしもう少し先まで行ってみる。


すると道は下り気味になっていく。やはり今の所なのかもしれない。

まあ、峠でなくてもしかたない、もう休憩の時間であった。


再び自転車を押し上げ、ようやくランチタイムとなった。 

今日もネイチャーストーブの出番。最近は時間が許す限りこれにはまっている。


静かな中、ビールがまた格別である。サケ大根、焼き鳥、ウインナー、焼いては飲み、景色に酔った。

下界の風景が箱庭のように見える。今日はこれから帰るのかという残念さが沸いてくる。

こんな時間をいつまでも過ごせたら本当に幸せだと感じる。 自然の音だけに包まれた至福の時間。
 


2時間も居ただろうか。いよいよ去る時となる。

その先にニューサーイの写真はあった。富倉峠の看板は割れて落ちていた。


何か痛々しく、拾って直しておいた。

誰も来ないところだと思っていたら、ここにはゴミがたくさんあった。

この道では車も当然入ってくる。残念というか、悔しい限りだ。
 

ニューサイによれば、看板の左の道を下るとなっている。

いったいどこにと、探すと確かにルートがある。行ってみる。


しかし、すぐにやぶこぎの怪しい道となる。少々弱気になり、時間と体力を考え、車道へ戻る。

まあ、下界も見えていることだし、迷う事はないだろうという事で後は適当に下り出す。


すぐに分岐が現れまた悩むのであるが、方向的に左を選択。その後はダートを快適に下る。

650Bでは少し心細かったが、久しぶりに本格的なダウンヒルだった。


人里へ出ると舗装になった。そこから車まではほんのわずかな距離しかなかった。

車に戻ってきたのは4時頃だったろうか。
 

2日間は長い時間であったが、どうも今回は天気に恵まれなかった。

しかし、このあたり、「北信濃」は、信州といってもまた違う趣を持ったところだ。


スケールの大きさはないが、深みのあるなかなか魅力的なところでもある。

ゆったりとした時間を過ごすには最適だ。


帰りは、開通した上信越道を快適に走る。帰りはこの高速の素晴らしさに見とれた。

中央道から見る景色と反対の位置から見る八ヶ岳。これもまたいい。

この地方、高速のおかげで便利になった。東京から本当に近くなった。今後カーサイでくる事が多くなるだろう。
 

(1997/5/25 走行)


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