峠への招待 > ツーリングフォトガイド >  ’1993 > 八十里越


新潟県北魚沼郡入広瀬村/福島県南会津郡只見町(標高845m)
浅草岳と守門山を越える峠道で、いくつもの峠と大小の突起からなる。新潟県三条市より奥会津に入る近道として古くから栄えた。
奥会津の只見町叶津より木の根まで4里、木の根より新潟県下田村吉ケ平まで4里の合計8里であるが、途中に難所があり10倍も大変であるので八十里というとも、坂東里の八十里がそのまま峠名になったとも伝えられる。奥州の藤原氏征伐に向かう源頼朝軍の一部もここを越えたという。
江戸時代には叶津番所が設けられ、怪しい者の通行を警戒した。三条より塩・塩乾魚類・金物・綿布・米などを送り、只見より生糸・麻・から麻・蚕の種などが送り出され、両地域の産業経済の関係は密接であった。道路は明治時代に6年かけて幅4mに大改修されたが、1914年岩越鉄道、1931年に上越線が開通すると、只見地方に流れてきた物資は関東地方に運ばれ、八十里越の通行は次第に忘れ去られた。


とにかく行くだけでも大変な場所である。

列車、車を使ってもうまい手がない。結局池袋より夜行バスでの輪行しかない。

深夜に小出インターに降ろされ、タクシーを呼び、延々走ってもらう。

駅で夜が明けるのを待つ。寒さをガスストーブでしのぐ。

八十里にはとにかく参った。散々な目にあった。

プロローグは余裕があって、モツなべなんぞで盛り上がり、極寒の中気分も上々だった。

いよいよ山道が現れる。

担ぎはもちろん、自転車の手渡し、崖降り、徒渉、ぬかるみ・・・

自転車がまるで役に立たない状況であった。

もういい、というぐらいに次々に現れる難所。

本当に峠の名前の通りである。

足はすでに泥の中に埋まって悲惨な状態。

ゴールの見えない行軍に焦りがでてくる。

いよいよ日没を迎え、はるか下方に灯かりが見える。

じれったいほど近づかないその灯かり。


最後は斜面を無理矢理引きずって降りる。

着いてみれば工事現場だった。
 

現場の人たちもたまげた顔。何でこんな所から自転車が…と。

危険な状況ゆえ、トラックの荷台に乗せてもらう。助かった。

さらに、温泉の主人に車で迎えに来てもらい、バタンキューとなった。
 


(1993/11 走行)

 

所要時間:10時間56分 走行距離:45.84km 最高速度:41km


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