峠への招待 > ツーリングフォトガイド >  ’1993 > 乙見山峠・湯峠 ・林道横川鎌池線



乙見山峠:長野県北安曇郡小谷村/新潟県中頚城郡妙高高原(標高1640m)
小谷村の小谷温泉と妙高高原町の笹ケ峰を結ぶ自動車道が越える。戦国時代には、すでに利用されていたといわれる。 明治の初期までは松尾峠と呼ばれていたが、乙妻山がよく見えるので、地元では乙見山という名があり、それが乙見山峠になったとされる。

湯峠:長野県北安曇郡小谷村。大糸線平岩駅の南南東9km(標高約1280m)
海谷山地の南部に位置し、北の雨飾山と南の大渚山との間の最低鞍部。南東の標高900mの高地に小谷温泉がある。



乙見山峠はサイクリスト憧れの峠だ。

ニューサイに時々登場する晩秋の峠路を見るたびに、いつか絶対に行ってみたいと思っていた。

特に、No.181の「晩秋の北信濃路」や、No.230 の美しい表紙に、たまらない魅力を感じていた。

ニューサイクリング No.181 
(1979年11月号)より
 

ニューサイクリング No.181 
(1979年11月号)より
 
ニューサイクリング No.230 
(1983年10月号)より
 

1993年10月9日(土)


最高の季節に、最高の天気に恵まれ、ついに乙見山峠へ行く日を迎えた。

先月の六十里越のツーリングも素晴らしかったが、今回も行く前から期待に胸が高まる。

「急行妙高」は、ホームを離れるとすぐに日付が変わった。


この列車、サラリーマンの最終列車にもなっているようで、お疲れの企業戦士の姿があちらこちらに・・・

そんな姿を横目に、ビールを飲みながら我々の夜行列車の旅が始った。

いつものように懲りずに飲んで、ろくに睡眠できずに早朝の妙高高原駅に到着した。


早朝から組み立てていると、有名な早稲田大学のサイクリングクラブの面々が近寄ってきた。

キャンピングスタイルの大学生たちは、我々のランドナーを覗き込む。

ちょっと君たちの自転車とはお金のかかり方が違うんです、とばかりにオーダー車の凄さを物語る。


しかし走り始めてすぐに、荷物満載の彼らにあっという間に追い抜かれてしまった・・・

途中の食料品店で、ニラとお餅を仕入れる。今日のお昼はこれでアレを作りましょう・・・


いい天気になった。最高の秋空が広がっている。そして周囲は素晴らしい秋の色彩が広がっている。

澄んだ空気、晴れ渡った青空、見事に色づいた山々。文句なしのツーリング日和となった。

今回のツーリング、1泊2日の初日は乙見山峠、湯峠を越えて姫川温泉まで行く。


日没も早いこの季節、標高差もかなりあるのであまり余裕はない。

まずは平均勾配6%、適度な勾配の舗装路を登っていく。

すっかり体も暖まり、着ていた冬支度の上着を脱いで身軽になる。


気持ちのいいアプローチが続く。

適度な勾配の中、時折車に追い抜かれるがそれほど交通量は多くない。

スタートして約2時間、標高1100mの「五八木(ごはちぎ)」に到着する。


一気に展望が開け、
遠くに野尻湖や志賀高原の山並みが広がる。

ここまでは順調だ。沢の水を補給し一息つく。周囲は美しい紅葉が広がってきた。


見事な紅葉に包まれた林道になってきた。走り始めて約3時間、標高も1300mを越えてきた。

ちょうど空腹になるころ、仙人池が現れる。早朝から動きっぱなしなので、もうエネルギー不足だ。

池のほとりまで自転車を押していくと、静かで小さな池が目の前に広がっていた。


ちょうどいい具合にベンチがあって、どうぞここで「もつ鍋」やってください、と言っている。

さっそく手に入れたニラと餅入りの、もつ鍋パーティーの始りだ。


ニラは適当に手でちぎってどんどん投入する。

風もなく穏やかな昼下がり、どうしようもないほど平和なひと時が過ぎていく。


頃合いを見計らってお餅を投入。誰が考えたのかもつ鍋に餅。最高の組み合わせだ。

外で食べるとこれがまた格別に旨い。暖まるし、お腹も満たされる。もう、すっかり上機嫌の二人。


かなり長居してしまって、少々予定が怪しくなってきた。

乙見山峠まではまだまだ距離もある。さていよいよ真剣に登り始めないと。


すぐに笹ヶ峰のキャンプ場だ。広大な高原に、贅沢なキャンプ場が広がる。

今朝駅で会った大学生たちは、今日はここでキャンプすると言っていたっけ。

素晴らしいロケーションだ。あのでっかい鍋で、今夜は何を作るのだろう? 


一旦下って、いよいよ最後の登りに入る。

すでに道はダートへと変わっていて、きつい勾配の中を押さざるをえない。

オフロード好きの4WD車が多くなり、小石を蹴散らしながら下っていく。

一旦下っちゃう・・・


疲れてきた。

睡眠不足とこの長いヒルクライムに、いよいよ体力が尽きてきた。


周囲の美しさを感じている余裕もなく、ただひたすら峠を目指す。

しかし、こうしてあらためて写真を見てみると、その美しさに魅了される。


ついに峠のトンネルが見えてきた。ダートの砂埃でレンズもゴミだらけ。

そしてこの伝統的な馬蹄形のトンネルアーチ。


トンネルの上部にはしっかり「乙見隧道」の文字が刻まれている。

ニューサイの表紙と全く同じ絵だ。いやぁ、やはりこれが本当の「峠越え」だろう。


短いトンネルだが、雰囲気は嶺方峠に似ている。

トンネルに入ると出口からの逆光で何も見えない。

次第に前方の視界がはっきりとしてくると、絶景の山岳パノラマが目の前に広がってくる。


感動の瞬間だ。

今までに出会ったことのないような、幾重にも織りなす山並みと、谷に広がる雲海がとにかく幻想的だ。


こんな素敵な峠はなかなかない。

紅葉の美しさ、峠への素晴らしいアプローチ、距離、勾配、標高差。そして文句なしの峠のトンネル。

日本の峠越えの中でも、これほど条件を満たした峠は他に見当たらない。


観光客の車がいなくなると、峠の広場は我々二人だけの貸し切りとなった。

午後の日差しを正面から浴びながら、峠からの絶景をしばらく堪能する。




しかし素晴らしい眺めだ。この言葉を何度呟いても、そして何枚写真を撮っても気が済まない。

立ち去りがたい。もう、こんなシーンは二度と見れないかもしれない。それほどの絶景だった。


すでに15時を過ぎ、かなりいい時間になっていた。これからさらにもう一つ峠を越えなければならない。

乙見山峠に別れを告げ、ダートの林道を豪快に下り始める。


最高の峠には、最高のダウンヒルが待っている。

峠直下は小石が転がる厄介な下りだ。緊張の連続でとにかく気が抜けない。

峠からは500mの下りだが、200mも下ると疲れ切って思わず休憩を入れたくなる。


そろそろ日も傾いてくる頃、最後の峠への登りに入る。

予想外にも、道は舗装に変わってくれたおかげで遅れていたペースを取り戻す。


しかし、そろそろ体力も限界だ。もうペダルを漕ぐ力もわずかしか残っていない。

それでもなんとも素晴らし秋景色が、唯一元気を与えてくれる。


なんとかぎりぎりの時間に湯峠に到着。もう間もなく日が暮れようとしている。

これ以上登りはないという喜びと、迫る日没に心境も複雑だ。


湯峠からの眺めは、空中散歩しているかのような眺めであった。

西日を浴びた雨飾山の美しさと、深い谷を埋めつくす雲海。

周囲の紅葉と、白い雲海、そして赤く染まった雨飾山。

とにかく素晴らしい眺めが目の前に広がる。


ゆっくりする時間もなく、すぐにダートの下りに入る。

下りに入っても、あまりに雲海が美しすぎてすぐに立ち止まってしまう。

沈みゆく逆光の中、深く雄大に広がる真っ白な雲海の織りなす光景は言葉にならないほどだ。


大きく真正面に聳える雨飾山に向かってのダウンヒル。こんな贅沢なシーンはなかなかないだろう。

ニューサイの表紙にいかがですか、と言いたくなるほど見事な構図だ。

もう参りました。写真を撮っていても、いったいどう撮っていいのか悩むほどの眺めだ。


下るにつれ、我々も雲海の中に突入してしまった。

前方の視界が全くなくなり、真っ白で何も見えなくなってしまった。


日没が迫る中、慎重に路面を見ながら下る。小石のダートは油断すると簡単に転倒してしまう。

緊張の連続が続くダウンヒル。

なんとか日没ぎりぎりの時間に姫川温泉まで下りてくることができた。


真っ暗になる直前に宿に着いた。

部屋に案内されてすぐに浴衣に着替える。そしてまずは無事を祝っての乾杯だ。

グラスを持つ手も疲れ果て、体力、気力も限界に近い。


よく走った一日だった。そして長い長い一日だった。

あまりに多くの感動と絶景に、頭の中も整理がつかない。


夕食は多くの泊り客と一緒に大広間でいただく。

疲れすぎて交わす言葉も少な目だ。ビールだけがどんどん減っていく。

しだいに体力も食欲も回復し、結局最後はいつものように、誰もいなくなるまで飲み続ける二人であった。


「乙見山峠と湯峠」は噂通り、そして期待以上の素晴らしい峠だった。

何度訪れてもきっと満足させてくれる、紅葉の時期のベストコースに間違いないだろう。


 
距離: 59.0 km
所要時間: 6 時間 00 分 00 秒
平均速度: 毎時 6.0 km
最小標高: 264 m
最大標高: 1514 m
累積標高(登り): 1384 m
累積標高(下り): 1732 m

(1993/10/9 走行)


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