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1992/8/10(月)続き

足摺岬で手のひら、肘を擦り、四国最南端で散々な災難に見舞われた。

疲労困憊、満身創痍、やっとのことで土佐清水からバスに乗る。


車内は空いていた。輪行袋も、キャンプ道具も後ろの座席に置くことができた。

宿毛(すくも)で宇和島行きのバスに乗り換える。今日は一気に大移動だ。
 


乗ったときはガラガラだったが、途中から若者達で車内は満員になった。

後部座席を占領している我々に冷たい視線を浴びせてくるが、我々の姿がかなり不気味だったようだ。

花火大会があるようで、会場まで行く道路は大渋滞。花火会場で全員降り、車内は再び我々だけとなった。


今夜はそのまま宇和島のビジネスホテルに直行。

ハード過ぎた一日に、もう完全にグロッキー状態。果たして、明日は元気に目覚めるのだろうか・・・

長い長い一日がようやく終わった。本当にお疲れ様でした。

本日の走行距離32km。
 


1992/8/11(火)

不運は昨日で終わり・・・と思ったら甘かった。早朝から部屋でパンク修理だ。

どこでどうやってパンクしたのかわからないが、まあここで気が付いて逆に良かったのかもしれない。


今日は宇和島の観光と、松山への移動と慌ただしいスケジュールだ。

まずは宇和島駅に荷物を預け、フロントバッグだけで市内の観光だ。
 


今日も朝から猛暑。ちょっと動くだけ汗が噴き出てくる。

いくらか傷の痛みも治まったというが、なにかと不自由だ。


お城の見学もなかなかハードだ。疲れた体には、城内の急階段が壁のように立ちはだかる。

天守からの眺めはなかなか素晴らしい。眼下に広がる宇和島の街並みがよく見える。
 


駅に戻って輪行だ。分解したり、組み立てたりと毎日忙しい。

フロントバッグだけだったらたいしたことはないが、サイドバッグ、キャンプ道具があるとかなりの重労働だ。


分解して移動するにも、一度では移動できず、二回に分けて運ぶことになる。

改札を通過するときや、列車に乗車するときは大変な作業になる。


なんとか松山に到着。すぐに組み立てて、今日の寝場所を考える。

この時間から、市内でキャンプできるところを探すというのはなかなか厳しい。


いろいろ考えて、松山市緑地公園へやってきた。

地元の人に様子を伺うと、ここにテントを張っても大丈夫とのこと。助かった・・・静かで最高の場所だった。
 


遊具がある子供の遊び場だが、今日はすでに誰もいないし、明日は早朝に立ち去るから問題ないだろう。

水もトイレもあり、静かで人の目はあまりない。ベンチまであって、もう文句なしの満点だ。

さっそくテント、タープを張りキャンプの準備を整える。


今日はこれから道後温泉へ行って、いい湯とおいしい食事をいただこうという作戦だ。

荷物を全部テント内にしまい、身軽になった自転車で道後温泉へ向かう。
 


やっぱり松山へ来たなら、必ず道後温泉に入らないとだめでしょう。

さすが歴史のある温泉だ。近づくだけでやはり熱気と、格式が違う。


ひっきりなしに観光客が出入りし、カメラがあって何か取材中のようでもあった。

夜の道後温泉本館は、ライトに照らされた重厚な造りが見事な「美しき日本」を醸し出していた。
 


さっそく中に入る。広すぎて、どこへ行ったらいいのかわからないほどだ。

いい湯だった。痛めた手も、この湯で癒され、これまでの不運もようやく洗い流されたようだ。


やっぱり温泉街の夜はにぎやかだ。土産物通りは、温泉客でいっぱいだ。

毎日暑さとハードなキャンプ生活に悲鳴を上げていたが、今夜はとても素晴らしい夜になった。
 


テントまでのナイトランも気持ちよかった。風呂上がりに心地よい風が最高だった。

さあ、今夜も楽しいキャンプ時間の始まりだ。ご覧の通りのロケーションなので、不便なことは何一つない。

地面もフラットで寝やすいし、ベンチがあるおかげで快適度も完璧だ。
 


近くで子供たちがロケット花火を上げているのが気になるが、これも夏の風物詩。

夜も更け、11時を過ぎてもなかなか寝る気にならない。


小さなガスランタンだが、周囲が暗いのでこれで十分明るい。楽しい毎日に、ついつい飲みすぎでしまう。

やっぱり、夏のキャンピングは最高だ、とつくづく感じる夜だった。

本日の走行距離15km。
 


1992/8/12(水)

翌朝、何やら騒がしいのでテントから出てみると、なんと目の前でラジオ体操が始まっていた。

どひゃ! そうだったか! 予想外の光景に驚いた。


まあしかし、すぐに体操も終わり解散。何も言われることなく朝食の準備にかかる。

すると近所のおじさんが話し込んできた。飯を炊いているのも気にならず、あれやこれや歴史を語ってくる。

こうした話好きのおじさんはよくいるもので、適当に話を合わせないとこちらの予定も狂ってくる。
 


朝食を簡単に済ませ、松山市内を走って松山城へ向かう。

市電の走る姿を眺めながら、ロープウェイ乗り場へ。夏休みだけあってロープウェイも混んでいる。
 


松山城本丸は標高132mの山頂にあるため、見学するだけでも大変だ。

今日は少々見通しが悪くて残念だったが、天守からの眺めはなかなかだ。

あまりに暑いので、甘味処で冷やし抹茶で一服。
 


さて、松山の観光も終了。市内を走っていると、やや”怪しい”自転車屋を発見。

さっそく店主とお話しして、2階のパーツ置き場を見せてもらう・・・

結構期待してドキドキしていたのだが、やはり古い物はほとんどなく、お宝ゲットとはいかなかった。


午後からまじめに走り出す。フル装備でちゃんと走るのは久しぶりで、なんだかまた新鮮な気分になる。

本日の目的地は、東予国民休暇村キャンプ場。ここで、香川在住の友人と合流する予定だ。


二日間の観光で体力も回復し、かなり元気になった。今日は久しぶりに”キャンピング車”の走りを味わう。

国道は交通量が激しく、こんなノロノロ亀ではまともに走れない。

なるべく裏道を探して行くが、どうしても距離が長くなるばかり。しかたなくまた国道を我慢して走る。
 


15:00 キャンプ場まであと20km。交通量の多さにかなり参ってきた。

17:00 やっとの思いでキャンプ場に到着。結構遠かった。


キャンプ場はかなり賑わっている。さすがにシーズン最盛期だからしかたがない。

浜辺を目の前にした砂地が今日のテントサイトだ。まあ、海を目の前にしてロケーションは悪くない。


すぐにキャンプの準備だ。テント設営、買い出しなどでどんどん時間が過ぎていく。

そして19時過ぎに友人のKさんが車でやってきた。1年ぶりの再会である。
 


Kさんとは昨年の今頃、東京駅のホームで知り合った。

我々が越前方面へキャンピングに行く際、輪行姿の我々を見つけて声をかけてきたのがKさんだった。

(下の写真は、その時乗車した急行寝台銀河だ。我々は早朝に岐阜駅で降りた)


競輪関係の仕事に従事するKさんは出張の帰りで、我々と同じ「急行寝台 銀河」で帰る所だった。

競輪選手とは姿、形、荷物もかけ離れている我々に、興味津々で話しかけてきたのであった。

ホームでの短い会話であったが、お互い意気投合し連絡先を交換した。そして1年後の再会となった。
 


不思議な
縁である。全く見知らぬ人から声をかけられ、翌年再会するためにツーリングを計画した。

そんな昔話に始まり、競輪の事、ロードの事、ランドナーの事、バイクの事、そして「旅」の事・・・

延々と語りあい、飲んで、笑って最高の夜を過ごした。


夜になって雨が降り始め、かなりの豪雨に見舞われた。タープに打ち付ける雨音で、何も聞こえないぐらいだった。

そんな中でも、差し入れしていただいた豊富な酒に時間を忘れ、いつまでも語り合った。


締めの特製カレーライスを食べるころには日付も変わり、雨も上がっていた。

もう、何もかも満腹で、これ以上は一歩も動けないほど大満足の夜となった。

本日の走行距離72km。
 

(1992年8月 走行)


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